最新のお知らせ

2024年3月23日(土)15:00から柳田館で通常例会「おさま甚句はどこからはよた♪三州振草下田の盆踊り」(宮下英治会員)を行います。

2019年8月25日日曜日

【報告】第7回通常例会を開催

6月22日に第7回通常例会と第2回飯沼の民俗調査ミーティングを開催し、12人が参加しました。 例会では松上会員と中島会員が発表を行いました。

松上清志会員「阿智村清内路における出作り」

発表要旨 阿智村清内路で「出作り」をするための家(山の家)は、昭和初期に91戸(市川康夫『信濃』2013.11)、昭和48年に70戸(千葉徳爾『伊那』1974.1)あったとされる。さらに最近の横浜国立大建築計画研究室の調査では、かつて97戸が存在しそのうち77戸の建物を現認できたという。
 今や最後の1軒として出作りを続けている桜井藤寛さん(昭和14年生まれ)からは、煙草栽培をめぐる専売公社との駆け引きや、養蚕を盛んに行い身内に不幸があってもろくに葬式も出せないほど忙しかった頃の話をうかがった。農地のそばで暮らす出作りの意義について桜井さんが語った「歯ブラシをくわえて農作物の出来を見れるようでなければ、いいものは作れない」という言葉が心に残った。

中島正韶会員「飯沼北条の小字地名考(1)」

発表要旨 飯沼という地名は、鎌倉時代の『善光寺縁起』に「宇沼」とあることから、これが「鵜沼」→「飯沼」になったとの説がある。また、自然地形を由来とする説に立てば、イイ・イヒは段丘など小高い場所をさすと考えることもできる。
 この地域の小字についての先行研究は市村咸人編『下伊那地名調査』1958や日下部新一『上郷地名考』付録1988、今村理則『上郷町の小字と小字地図』2013などがある。
 北条地区付近の地名を具体的に見ていくと「大明神原」「権現」「ビクニ田」「院下洞(エンゲボラ)」など信仰と関わりの深い地名があり、「高松」などは善勝寺との関わりが想像される。また「二反所(ニタショ)」「漆田(ウルシダ=潤田)」など、湿地を示す地名も目立つ。
 リニア駅建設にともなって忘れ去られていく小字地名も多いとみられる。上郷史学会でも調査を行ってきたが、今回の「飯沼の民俗」調査でもさらに進めていきたい。