最新のお知らせ

2024年5月26日(日)に2024年度の総会と記念講演会および研究発表会を美博講堂で行います。

2018年11月28日水曜日

例会等のお知らせ【12月~2019年2月】

12月例会

日 時:2018年12月22日(土)18:00~20:00
会 場:柳田國男館会議室
発 表:片桐みどり「天神様のお祭り」
    櫻井弘人「風越山の信仰とオクンチ」

2019年

1月特別例会「折口信夫を読み解く」

第2回「鬼の話」を読む

日時:2019年1月12日(土)14:30~18:00
会場:柳田國男館書斎
参加費:500円(資料代として)
講師:小川直之所長
内容:折口信夫の「鬼の話」を読む。奥三河・遠州北部から南信州にかけての地域の祭りに登場する「鬼」を論じたもので、来訪する神である「まれびと」の祭りと、祭りに登場する「もどき」から日本の芸能について論じている。


2月例会

日時:2019年2月23日(土)18:00~20:00
会 場:柳田國男館会議室
発 表:宮下英美
    岡庭圭佑

11月例会を開催しました

2018年11月24日に柳田館で第2回の通常例会を開催しました。
京都から来飯したという一般の方も含めて8名が参加し、有意義な会となりました。

発表1 寺田一雄会員「民俗の聞き書きについて」

当研究所の前事務局長で民俗調査部会の部会長も長く務めた寺田会員は、民俗調査の基本である「聞き取り」をテーマに発表。『日本の民俗学11』「民俗学案内」(2004年)をテキストに、野本寛一元所長のフィールドワークの方法を紹介しました。野本先生の個人調査は予約なしの飛び込みながら、農繁期を避け手土産を忘れないなどの配慮があり、話者の話を遮らずに耳を傾け、思いがけない発見の機会を重視しています。
 寺田会員は自ら行ってきた聞き取りの方法について、「どうしても一方的な質問になってしまいがちで、野本先生のように同じ話者の元へ何度も足を運ぶこともできなかったのが反省点」と振り返るとともに、「今後は個人的な調査を続けながら、これまでにやってきたことの成果を何らかの形に残したい」と抱負を述べました。
 野本先生の調査に身近に触れた参加者からは、「先生は相手の玄関を叩く前に庭先にあるものなどをしっかり観察し、その話題を切り口に相手の懐に飛び込んでいく」「話題が横道にそれてもしばらくずっと聞き続け、タイミングを見計らってぐいっと引き戻すテクニックがすごい」といった発言がありました。



発表2 北原いずみ会員「遠山谷におけるどんどやき」

研究所の民俗調査で年中行事を担当してきた北原会員は、飯田市遠山地方のどんど焼きを分析。これまでに同地域で確認されたどんど焼きは15カ所に上り、飯田近辺と比べると御幣を飾らず20メートルもの竹を高く立てるのが特徴であると指摘しました。
 遠山谷での呼称は「どんど焼き」が主流ですが、北澤悦佐雄氏の報告(『民俗学』1933年)によると下栗や程野ではサギチョウとも呼ばれていたとのこと。
 どんど焼きは昭和や平成に入ってから始めたという地区も多く、遠山にこの行事が普及したのは比較的最近のことではないかと想像される、と指摘しました。
 どんど焼きをしない地区は、正月飾りを「山に返す」といって立木の根元などに納めています。また此田にはコト八日の歌によく似た「いちのぽっぽにさんやりよ」、上町には飯田とよく似た「ほんやりほうほ」の歌が報告されており、後者は小川路峠を越えて伝わった可能性があるとしました。
 参加者からは、「遠山でどんど焼きが行われるようになったのはPTAの役割が大きいのではないか」「遠山の正月行事は、生活改善運動によって大正月と小正月を同時にやるようになった点が特徴」といった意見がありました。

次回の通常例会は12月22日(土)となります。民俗や民俗学に興味のある方なら非会員でも気軽に参加できます。
(文責 今井)

2018年11月14日水曜日

【報告】第2回伊那民俗研究集会

 当研究所と南信州民俗芸能継承推進協議会は2018年10月27~28日の2日間、「コト八日と神送り」をテーマにした第2回伊那民俗研究集会を飯田市美術博物館講堂で開催しました。
 飯田下伊那地方および長野県内のコト八日行事・神送り行事の事例が映像とともに報告され、講演会やシンポジウムでは全国を視野に入れながらコト八日および神送り行事の深層を探りました。

  集会には2日間で延べ約90人が参加しました。会場には飯田市竜東地域で行われるコトの神送りに使用された幟旗や御輿などの実物を展示。信濃毎日新聞社が発行するフリーペーパー「週刊いいだ」で連載されている「飯田下伊那の民俗 いまむかし」も掲示され、来場者の関心を引きました。



第1日(10月27日)


 初日の27日は主催者を代表して飯田市の代田昭久教育長があいさつをおこない、当研究所の松上事務局長が集会の趣旨を説明しました。



映像上映と解説 


 飯田市、松本市、長野市、阿南町の5事例が紹介されました。

 飯田市のコト八日行事


 飯田市美術博物館学芸員で当研究所会員の櫻井弘人氏が解説。飯田市から喬木村にかけての天竜川東岸のコト八日行事では、コトの神送りの御輿を集落から集落へリレー形式で送り継ぐという全国的にも珍しい行事が行われていること、前夜のコト念仏を含め、子どもたちが自主的に行事を行っていることなどを報告しました。

 松本のコトヨウカ行事

 松本市博物館館長の木下守氏が解説。松本では2月8日の行事を「オヨーカ」と呼んで「コト」という語は使わないこと、朝にもみ殻やコショウなどを燃やす「ヌカエブシ」、藁で草履や蛇、人形などを作って神送りや道切りをする「ツクリモノ」、大数珠を回す「ヨーカネンブツ」の3つが主な行事であることを紹介しました。
  

 また、松本のオヨーカは、道祖神に餅を供えたり塗りつけたりするなど道祖神信仰との関係が深く、これには疫病神から預かった帳面を道祖神が三九郎で焼いてしまうので、戻ってきた疫病神から道祖神を隠すために餅を塗るのだという松本独特の伝承があることを紹介しました。

長野市の春彼岸行事
  長野市博物館学芸員の細井勇次郎氏が解説。北信では2月8日の行事が希薄なかわり、同市大岡地区では春彼岸に人形送りと数珠回しが盛んに行われていることを紹介しました。

 人形送りは「セイドーボー」「デーラボー」などと呼ばれる藁人形を集落境へ持っていくもので、本来は疫病を寄り付かせて捨てられていたものが、のちに守り神として村境に立てられるようになったとみられること、こうした行事は長野市に限らず犀川流域に広く分布する文化として理解する必要があることを指摘しました。

早稲田の人形神送り 

 当研究所会員の岡庭圭佑氏が解説。阿南町の早稲田神社では秋祭りの奉納芝居で使う人形を用いて1月第二日曜日に「人形神送り」が行われます。疫病神を寄り付かせたミコシを人形に担がせて村境まで送るもので、神送りと人形芝居が結びついたとても珍しい事例であり、地元の人たちの人形への信仰心が反映されていると岡庭氏は指摘しました。

新野の盆踊り 

 当研究所会員の今井啓氏が、阿南町新野の盆踊りの最後に行われる「踊り神送り」について解説。新野の盆踊りは明治以降、場所や形式などが変化を重ねており、現在みられる神道的要素もそうした観点からみる必要があること、盆地の北の大村地区でも盆踊りが行われていた時代には、北に向かって地区から地区へ順に踊り神送りが行われており、飯田市竜東のコトの神送りと同様の意識が働いていたことがうかがえると指摘しました。

交流会

  飯田市内で開かれた交流会では、飯田市座光寺の竹田人形座「竹の子の会」の水上隆さんが余興として出演し、「三番叟」「都獅子」などを、解説を交えながら上演してくださいました。参加者にとても好評でした。


 第2日(10月28日)

柳田国男関連地見学会 


 9人が参加。当研究所の宮下英美会員の案内で、柳田家門(飯田市江戸町)、柳田家と親戚関係にあった菱田春草の生家跡地などを探訪しました。

研究発表


 「長野県のコト八日行事」(三石稔氏)
  長野県民俗の会会員で当研究所会員でもある三石稔氏が、長野県史や飯田市史の民俗調査データをもとに長野県内のコト八日行事の地域性について報告。県内では2月8日を「コト始め」とする地域が多く、中信や東信では2月8日が道祖神祭りと密接に結びついていること、飯田下伊那のコト八日行事の主体は飯田市内が神送り、その周辺地域がコト念仏と地域性が見られることを指摘しました。

 また、文化庁の報告書「伊那谷のコト八日行事」にも記載されていない松川町や大鹿村のコト念仏の存在を報告する一方、家庭で行う行事の衰退が各地で顕著であると警鐘を鳴らしました。

 「疫病と神送り―新型インフルエンザ流行を中心に―」(櫻井弘人氏)
  櫻井氏は、大正時代に飯田市遠山地方で猛威を振るったスペイン風邪(インフルエンザ)の被害伝承を報告。葬儀が追いつかないほど次々と死者が発生し、重病患者はまだ息があっても埋葬されそうになるなど悲惨な現実があったことを紹介し、現在の疫病神送りの行事も人びとの切実な願いの表われであることを強調しました。 

講演「コト八日―儀礼要素と祈りの原質―」(野本寛一氏) 


 当研究所の元所長で近畿大学名誉教授の野本寛一氏は、全国的な視野からコト八日儀礼の意味と要素を整理しました。

 コトは節を意味する大和言葉であり、トキ(時・斎)と関りが深く渡来文化以前の概念である可能性が高いこと、八日という祭日は月の満ち欠けと関連して理解する必要があることを指摘するとともに、コト八日行事は地域ごとにさまざまな変容を経ており、物忌み、呪物顕示、追送、遮断防除などさまざまな切り口から分析できることを、詳細な分類表を示しながら説明しました。
 また、疫病神といえど殺したり滅ぼしたりするのではなく送り出すことに日本人の良さがあると述べました。 

昼食「祭り弁当」


 昼休憩では、地域グループ「三遠南信交流の輪」が企画した「祭り弁当」が希望者に販売されました。「はつはる」と題して新野の雪祭りをイメージした料理が盛られ、好評でした。

シンポジウム「コト八日行事を考える」

パネラー:野本氏・木下氏・細井氏・櫻井氏/司会:今井氏

 シンポジウムの議論ではまず、長野県内のコト八日行事の地域差について注目されました。
 飯田では2月8日の行事が明確に意識され伝承されているのに対し、松本では2月8日のツクリモノが廃れるに従い、同時に行われていたヨーカ念仏が涅槃会へずれこむなどの変化が起きており、さらに長野市においては2月8日に行事をおこなう意識そのものがないなど、南から北にかけての段階的差異が浮き彫りになりました。

 また、三石氏はコトの神送りを7月7日や6月8日に行っていた事例があること、臨時の風邪送りでもコト神送りとよく似た行事が行われたことを指摘し、期日の多様性にも注目する必要があることを示しました。

 木下氏は、松本では11月20日にエビス神を迎え、1月20日に送り出して「エビス様の顔隠し」といってエビス棚に紙を張って隠してしまう風習があることを例示し、冬から春にかけての神去来の信仰が、コト八日行事やエビス講など地域それぞれの形で表れていると考えられるのではないか、と提起しました。

 行事の保存伝承に向けて何ができるかという議論では、櫻井氏が「行事の価値を当事者たちだけでなく広く共有できるようにすることが大切ではないか」と指摘。
 三石氏は「松本などと比べて伊那谷は市町村による無形民俗文化財指定が少なく、とくに年中行事の分野で顕著。なんでも指定すればいいというものではないが、まだ支援の余地があることを考えてほしい」と訴えました。

 細井氏は「こうした研究集会や記録作成事業を行うことが地元の人たちを元気づける。そうした活動をこつこつ続け、行事を継続できる環境づくりをしていくことが大事」と述べました。

 木下氏は「松本市では、たとえ簡素化しても行事が続いている限りは文化財指定を続けている。行事に使用する消耗品への補助は全国的にも珍しく、今後は”市民学芸員”が行事に参加して支援することも検討している。また、子どもたちに自分たちの地域をもっと知ってもらうための工夫が必要と感じている」と松本市の例を紹介しました。

 野本氏は「集落の問題は小手先でどうにかなるものではない。いまの日本には国家戦略がない。日本の将来をどうするかという深いところから考えなければならない」と強調しました。

 総括(小川直之所長)

小川所長は2日間の総括として次のように述べました。

「コト八日行事を見ていくと、この地域は日本列島の東西文化の境界領域にあることがわかる。神送りと念仏がセットになっているのもこの地域の大きな特色。また、子どもたちが地域社会の行事できちんとした役割を話すのはアジア、ひいては世界のなかでも日本だけといえ、民俗学はもっとアピールしていく必要がある。



 これからの日本は、地域の個性をいかに残していくかを考えなければならない。この地域の民俗文化の形成を探ることが、日本全体にとっても非常に重要であるということが、今回のコト八日というテーマからも見えてきた。このように充実したシンポジウムを開催できるこの地域の民俗学のレベルの高さを、全国に発信していきたい」(要旨)




参加者の声

参加者から寄せられたアンケートでは、「貴重な映像を解説とともに見ることができ、とても考えさせられた」「近くに住んでいながら知らないことばかりでもっと学ばなければと感じた」「もっと多くの人に聞いてもらいたい、知ってもらいたい内容だった」など、高く評価する声が多く寄せられました。

 ご参加くださった皆様、ご協力くださった皆様、どうもありがとうございました。

(文責:今井啓)