最新のお知らせ

2024年5月26日(日)に2024年度の総会と記念講演会および研究発表会を美博講堂で行います。

2018年12月30日日曜日

12月例会を開催しました

2018年12月22日、第3回となる通常例会を柳田國男館会議室で開催しました。

発表1 片桐みどり会員「天神様のお祭り」

 片桐みどり会員は、飯田下伊那の天神様の祭り(天神講)について、自身の体験や調査結果、先行文献などから約10件の事例を報告しました。
 天神様の祭りは子ども(主に小学生)の行事で、2月25日を祭日とするところが大半です。片桐会員は飯田市松尾、鼎、上郷、下久堅三石平、豊丘村柿垣外、阿智村下清内路などでの事例を報告しました。
 天神様の祭りでは、太鼓を叩き天神様の歌を歌いながら町内を練り歩いたり(松尾)、菅原道真の旗を持って祠に参拝したり(上郷)、集会所に集まって「塩気のご飯」を食べたり(各地)しました。
 松尾では大正時代に天神祭りの際に小屋を作って泊まり込んだほか、柿垣外では子どもたちが大人たちのまねをして宴会で盛り上がりました。一方で知久平では上級生の指導の下で勉強会を開くなど、地域や時代によって行事内容に違いがあることが報告されました。
 出席者からは、飯田市毛賀、同市上村中郷、高森町吉田の天神祭りについても情報が寄せられました。
 一部の民俗事典では天神講について、大人たちの氏神祭祀が変化したものとする説明もありますが、片桐会員の発表を聞いた参加者からは、寺子屋の影響が大きいのではないかとの感想が相次ぎました。

発表2 櫻井弘人会員「風越山の信仰とオクンチ」 

櫻井会員は、風越山に鎮座する白山社で旧暦9月の9・19・29日に行われた「九日祭(通称オクンチ)」が、1947年の飯田大火までは大勢の参詣客で賑わっていたことを取り上げました。
 風越山のオクンチでは、近郷の人々が日の出前から山頂に登拝する「朝路参り」をし、下山後は山麓で酒や五平餅を楽しんだり、銀杏を土産に購入したりする飯田独特の伝統でした。しかし白山社が出征兵士を守る神として信仰されていた反動で、戦後になると急速に廃れることになりました。
 櫻井会員は、白山社の祭神である菊理媛は死者と生者の間を取り持つ巫女神ではないかとする説があること、愛知県東栄町古戸では、花祭りに先立って地元の白山山頂(650m)で「白山祭り」が行われること、この祭りは花祭りの原型ともいわれ、死と再生を象徴的に表現する大神楽(白山行事)と関わりが深いことなどを示し、風越山のオクンチも山頂で新たな太陽を迎え「蘇り」や不老長寿を願う行事だったのではないか、と推論しました。
 また、菱田春草(飯田出身)の名画「菊慈童」や地酒「喜久水」も、その誕生の背景には風越山のオクンチのイメージが影響していた可能性もあるのではないかと述べました。

2018年12月16日日曜日

探訪会のお知らせ(2019年1~2月)

 2019年1月から2月にかけて、計3回の探訪会を計画しています。いずれも飯田市美術博物館第3駐車場に集合し、乗り合わせで現地に向かいます。
 参加申し込みは、各実施日の1週間前までに当研究所メール(inaminken@gmail.com)へどうぞ。
 参加人数に限りがありますのでお早めにお申し込みください。
 問い合わせは今井携帯(090-1609-8460)へお願いします。

御神楽祭り(豊根村富山大谷)を訪ねる

  愛知県豊根村富山大谷の熊野神社に伝わる御神楽祭りは、文化財未指定のため花祭の陰に隠れた存在ですが、県境を挟んで隣接する天龍村坂部の冬祭りとも関わりの深い貴重な湯立神楽です。
 1月3日と4日にほぼ似た次第の行事が行われるうち、3日のものを見学します。
日時:2019年1月3日(木)
集合:3日午前7時30分までに美博第3駐車場へ
※飯田に戻るのは4日未明になる見込みです。防寒具、飲食料などは各自ご用意ください。

新野の雪祭り(試舞)を訪ねる

  小川所長の折口講座の翌日、阿南町新野の諏訪神社で行われる雪祭りの「試舞」などを見学します。
日時:2019年1月13日(日)
集合:午後1時までに美博第3駐車場へ
※飯田に戻るのは同日午後9時頃の見込みです。防寒具、飲食料などは各自ご用意ください。

飯田市千代芋平のコトの神送りを訪ねる

  本年度の伊那民俗研究集会でテーマとなったコトの神送りを準備段階から見学します。
日時:2019年2月9日(火)
集合:午前8時までに美博第3駐車場へ
※美博に戻るのは同日昼前頃になる見込みです。

2018年11月28日水曜日

例会等のお知らせ【12月~2019年2月】

12月例会

日 時:2018年12月22日(土)18:00~20:00
会 場:柳田國男館会議室
発 表:片桐みどり「天神様のお祭り」
    櫻井弘人「風越山の信仰とオクンチ」

2019年

1月特別例会「折口信夫を読み解く」

第2回「鬼の話」を読む

日時:2019年1月12日(土)14:30~18:00
会場:柳田國男館書斎
参加費:500円(資料代として)
講師:小川直之所長
内容:折口信夫の「鬼の話」を読む。奥三河・遠州北部から南信州にかけての地域の祭りに登場する「鬼」を論じたもので、来訪する神である「まれびと」の祭りと、祭りに登場する「もどき」から日本の芸能について論じている。


2月例会

日時:2019年2月23日(土)18:00~20:00
会 場:柳田國男館会議室
発 表:宮下英美
    岡庭圭佑

11月例会を開催しました

2018年11月24日に柳田館で第2回の通常例会を開催しました。
京都から来飯したという一般の方も含めて8名が参加し、有意義な会となりました。

発表1 寺田一雄会員「民俗の聞き書きについて」

当研究所の前事務局長で民俗調査部会の部会長も長く務めた寺田会員は、民俗調査の基本である「聞き取り」をテーマに発表。『日本の民俗学11』「民俗学案内」(2004年)をテキストに、野本寛一元所長のフィールドワークの方法を紹介しました。野本先生の個人調査は予約なしの飛び込みながら、農繁期を避け手土産を忘れないなどの配慮があり、話者の話を遮らずに耳を傾け、思いがけない発見の機会を重視しています。
 寺田会員は自ら行ってきた聞き取りの方法について、「どうしても一方的な質問になってしまいがちで、野本先生のように同じ話者の元へ何度も足を運ぶこともできなかったのが反省点」と振り返るとともに、「今後は個人的な調査を続けながら、これまでにやってきたことの成果を何らかの形に残したい」と抱負を述べました。
 野本先生の調査に身近に触れた参加者からは、「先生は相手の玄関を叩く前に庭先にあるものなどをしっかり観察し、その話題を切り口に相手の懐に飛び込んでいく」「話題が横道にそれてもしばらくずっと聞き続け、タイミングを見計らってぐいっと引き戻すテクニックがすごい」といった発言がありました。



発表2 北原いずみ会員「遠山谷におけるどんどやき」

研究所の民俗調査で年中行事を担当してきた北原会員は、飯田市遠山地方のどんど焼きを分析。これまでに同地域で確認されたどんど焼きは15カ所に上り、飯田近辺と比べると御幣を飾らず20メートルもの竹を高く立てるのが特徴であると指摘しました。
 遠山谷での呼称は「どんど焼き」が主流ですが、北澤悦佐雄氏の報告(『民俗学』1933年)によると下栗や程野ではサギチョウとも呼ばれていたとのこと。
 どんど焼きは昭和や平成に入ってから始めたという地区も多く、遠山にこの行事が普及したのは比較的最近のことではないかと想像される、と指摘しました。
 どんど焼きをしない地区は、正月飾りを「山に返す」といって立木の根元などに納めています。また此田にはコト八日の歌によく似た「いちのぽっぽにさんやりよ」、上町には飯田とよく似た「ほんやりほうほ」の歌が報告されており、後者は小川路峠を越えて伝わった可能性があるとしました。
 参加者からは、「遠山でどんど焼きが行われるようになったのはPTAの役割が大きいのではないか」「遠山の正月行事は、生活改善運動によって大正月と小正月を同時にやるようになった点が特徴」といった意見がありました。

次回の通常例会は12月22日(土)となります。民俗や民俗学に興味のある方なら非会員でも気軽に参加できます。
(文責 今井)

2018年11月14日水曜日

【報告】第2回伊那民俗研究集会

 当研究所と南信州民俗芸能継承推進協議会は2018年10月27~28日の2日間、「コト八日と神送り」をテーマにした第2回伊那民俗研究集会を飯田市美術博物館講堂で開催しました。
 飯田下伊那地方および長野県内のコト八日行事・神送り行事の事例が映像とともに報告され、講演会やシンポジウムでは全国を視野に入れながらコト八日および神送り行事の深層を探りました。

  集会には2日間で延べ約90人が参加しました。会場には飯田市竜東地域で行われるコトの神送りに使用された幟旗や御輿などの実物を展示。信濃毎日新聞社が発行するフリーペーパー「週刊いいだ」で連載されている「飯田下伊那の民俗 いまむかし」も掲示され、来場者の関心を引きました。



第1日(10月27日)


 初日の27日は主催者を代表して飯田市の代田昭久教育長があいさつをおこない、当研究所の松上事務局長が集会の趣旨を説明しました。



映像上映と解説 


 飯田市、松本市、長野市、阿南町の5事例が紹介されました。

 飯田市のコト八日行事


 飯田市美術博物館学芸員で当研究所会員の櫻井弘人氏が解説。飯田市から喬木村にかけての天竜川東岸のコト八日行事では、コトの神送りの御輿を集落から集落へリレー形式で送り継ぐという全国的にも珍しい行事が行われていること、前夜のコト念仏を含め、子どもたちが自主的に行事を行っていることなどを報告しました。

 松本のコトヨウカ行事

 松本市博物館館長の木下守氏が解説。松本では2月8日の行事を「オヨーカ」と呼んで「コト」という語は使わないこと、朝にもみ殻やコショウなどを燃やす「ヌカエブシ」、藁で草履や蛇、人形などを作って神送りや道切りをする「ツクリモノ」、大数珠を回す「ヨーカネンブツ」の3つが主な行事であることを紹介しました。
  

 また、松本のオヨーカは、道祖神に餅を供えたり塗りつけたりするなど道祖神信仰との関係が深く、これには疫病神から預かった帳面を道祖神が三九郎で焼いてしまうので、戻ってきた疫病神から道祖神を隠すために餅を塗るのだという松本独特の伝承があることを紹介しました。

長野市の春彼岸行事
  長野市博物館学芸員の細井勇次郎氏が解説。北信では2月8日の行事が希薄なかわり、同市大岡地区では春彼岸に人形送りと数珠回しが盛んに行われていることを紹介しました。

 人形送りは「セイドーボー」「デーラボー」などと呼ばれる藁人形を集落境へ持っていくもので、本来は疫病を寄り付かせて捨てられていたものが、のちに守り神として村境に立てられるようになったとみられること、こうした行事は長野市に限らず犀川流域に広く分布する文化として理解する必要があることを指摘しました。

早稲田の人形神送り 

 当研究所会員の岡庭圭佑氏が解説。阿南町の早稲田神社では秋祭りの奉納芝居で使う人形を用いて1月第二日曜日に「人形神送り」が行われます。疫病神を寄り付かせたミコシを人形に担がせて村境まで送るもので、神送りと人形芝居が結びついたとても珍しい事例であり、地元の人たちの人形への信仰心が反映されていると岡庭氏は指摘しました。

新野の盆踊り 

 当研究所会員の今井啓氏が、阿南町新野の盆踊りの最後に行われる「踊り神送り」について解説。新野の盆踊りは明治以降、場所や形式などが変化を重ねており、現在みられる神道的要素もそうした観点からみる必要があること、盆地の北の大村地区でも盆踊りが行われていた時代には、北に向かって地区から地区へ順に踊り神送りが行われており、飯田市竜東のコトの神送りと同様の意識が働いていたことがうかがえると指摘しました。

交流会

  飯田市内で開かれた交流会では、飯田市座光寺の竹田人形座「竹の子の会」の水上隆さんが余興として出演し、「三番叟」「都獅子」などを、解説を交えながら上演してくださいました。参加者にとても好評でした。


 第2日(10月28日)

柳田国男関連地見学会 


 9人が参加。当研究所の宮下英美会員の案内で、柳田家門(飯田市江戸町)、柳田家と親戚関係にあった菱田春草の生家跡地などを探訪しました。

研究発表


 「長野県のコト八日行事」(三石稔氏)
  長野県民俗の会会員で当研究所会員でもある三石稔氏が、長野県史や飯田市史の民俗調査データをもとに長野県内のコト八日行事の地域性について報告。県内では2月8日を「コト始め」とする地域が多く、中信や東信では2月8日が道祖神祭りと密接に結びついていること、飯田下伊那のコト八日行事の主体は飯田市内が神送り、その周辺地域がコト念仏と地域性が見られることを指摘しました。

 また、文化庁の報告書「伊那谷のコト八日行事」にも記載されていない松川町や大鹿村のコト念仏の存在を報告する一方、家庭で行う行事の衰退が各地で顕著であると警鐘を鳴らしました。

 「疫病と神送り―新型インフルエンザ流行を中心に―」(櫻井弘人氏)
  櫻井氏は、大正時代に飯田市遠山地方で猛威を振るったスペイン風邪(インフルエンザ)の被害伝承を報告。葬儀が追いつかないほど次々と死者が発生し、重病患者はまだ息があっても埋葬されそうになるなど悲惨な現実があったことを紹介し、現在の疫病神送りの行事も人びとの切実な願いの表われであることを強調しました。 

講演「コト八日―儀礼要素と祈りの原質―」(野本寛一氏) 


 当研究所の元所長で近畿大学名誉教授の野本寛一氏は、全国的な視野からコト八日儀礼の意味と要素を整理しました。

 コトは節を意味する大和言葉であり、トキ(時・斎)と関りが深く渡来文化以前の概念である可能性が高いこと、八日という祭日は月の満ち欠けと関連して理解する必要があることを指摘するとともに、コト八日行事は地域ごとにさまざまな変容を経ており、物忌み、呪物顕示、追送、遮断防除などさまざまな切り口から分析できることを、詳細な分類表を示しながら説明しました。
 また、疫病神といえど殺したり滅ぼしたりするのではなく送り出すことに日本人の良さがあると述べました。 

昼食「祭り弁当」


 昼休憩では、地域グループ「三遠南信交流の輪」が企画した「祭り弁当」が希望者に販売されました。「はつはる」と題して新野の雪祭りをイメージした料理が盛られ、好評でした。

シンポジウム「コト八日行事を考える」

パネラー:野本氏・木下氏・細井氏・櫻井氏/司会:今井氏

 シンポジウムの議論ではまず、長野県内のコト八日行事の地域差について注目されました。
 飯田では2月8日の行事が明確に意識され伝承されているのに対し、松本では2月8日のツクリモノが廃れるに従い、同時に行われていたヨーカ念仏が涅槃会へずれこむなどの変化が起きており、さらに長野市においては2月8日に行事をおこなう意識そのものがないなど、南から北にかけての段階的差異が浮き彫りになりました。

 また、三石氏はコトの神送りを7月7日や6月8日に行っていた事例があること、臨時の風邪送りでもコト神送りとよく似た行事が行われたことを指摘し、期日の多様性にも注目する必要があることを示しました。

 木下氏は、松本では11月20日にエビス神を迎え、1月20日に送り出して「エビス様の顔隠し」といってエビス棚に紙を張って隠してしまう風習があることを例示し、冬から春にかけての神去来の信仰が、コト八日行事やエビス講など地域それぞれの形で表れていると考えられるのではないか、と提起しました。

 行事の保存伝承に向けて何ができるかという議論では、櫻井氏が「行事の価値を当事者たちだけでなく広く共有できるようにすることが大切ではないか」と指摘。
 三石氏は「松本などと比べて伊那谷は市町村による無形民俗文化財指定が少なく、とくに年中行事の分野で顕著。なんでも指定すればいいというものではないが、まだ支援の余地があることを考えてほしい」と訴えました。

 細井氏は「こうした研究集会や記録作成事業を行うことが地元の人たちを元気づける。そうした活動をこつこつ続け、行事を継続できる環境づくりをしていくことが大事」と述べました。

 木下氏は「松本市では、たとえ簡素化しても行事が続いている限りは文化財指定を続けている。行事に使用する消耗品への補助は全国的にも珍しく、今後は”市民学芸員”が行事に参加して支援することも検討している。また、子どもたちに自分たちの地域をもっと知ってもらうための工夫が必要と感じている」と松本市の例を紹介しました。

 野本氏は「集落の問題は小手先でどうにかなるものではない。いまの日本には国家戦略がない。日本の将来をどうするかという深いところから考えなければならない」と強調しました。

 総括(小川直之所長)

小川所長は2日間の総括として次のように述べました。

「コト八日行事を見ていくと、この地域は日本列島の東西文化の境界領域にあることがわかる。神送りと念仏がセットになっているのもこの地域の大きな特色。また、子どもたちが地域社会の行事できちんとした役割を話すのはアジア、ひいては世界のなかでも日本だけといえ、民俗学はもっとアピールしていく必要がある。



 これからの日本は、地域の個性をいかに残していくかを考えなければならない。この地域の民俗文化の形成を探ることが、日本全体にとっても非常に重要であるということが、今回のコト八日というテーマからも見えてきた。このように充実したシンポジウムを開催できるこの地域の民俗学のレベルの高さを、全国に発信していきたい」(要旨)




参加者の声

参加者から寄せられたアンケートでは、「貴重な映像を解説とともに見ることができ、とても考えさせられた」「近くに住んでいながら知らないことばかりでもっと学ばなければと感じた」「もっと多くの人に聞いてもらいたい、知ってもらいたい内容だった」など、高く評価する声が多く寄せられました。

 ご参加くださった皆様、ご協力くださった皆様、どうもありがとうございました。

(文責:今井啓)

2018年9月27日木曜日

9月例会を開催しました

 2018年9月22日に柳田國男館で通常例会を開催しました。6人が参加し、2名が発表を行いました。

 今井啓会員は「風切鎌は諏訪信仰か」と題して発表し、長野県内では風封じの神としての諏訪神の存在感が薄いこと、風切鎌は神社行事よりも家ごとの風除け祈願で行われる例が多いことを指摘しました。
 北陸地方では諏訪系の神社の風鎮祭で立木に鎌を打つ儀礼があるものの、薙鎌を用いたものではなく、薙鎌と風切鎌は用途や性格に隔たりが大きいため、安易に同列に論じることはできないのではないか、と問題を提起しました。

 松上清志会員は「町屋における大火の記憶」と題して発表。報告書『飯田・上飯田の民俗2』に盛り込むことができなかった1933年生まれの古老から聞き取った大火(1946年駅前大火、1967年飯田大火)の様子を報告しました。
 また、中央通りで酒店を経営していた話者の住まいが、大火後にどのように変化したのかを間取りを比較しながら解説。土蔵の隙間に味噌を塗ったり、二階に上がって赤い腰巻を振るといった、類焼除けの知恵および俗信が実際に行われたことも報告しました。

 次回以降の例会スケジュールは以下の通りです。非会員の方のご参加も歓迎しています。

11月例会

日 時:2018年11月24日(土)18:00~20:00
会 場:柳田國男館会議室
発 表:北原いずみ/寺田一雄

12月例会

日 時:2018年12月22日(土)18:00~20:00
会 場:柳田國男館会議室
発 表:宮下英美/岡庭圭祐

2018年9月10日月曜日

例会、集会等のお知らせ(9~12月)

9月例会(通常例会)【終了しました】

例会は、会員が日ごろの関心や調査成果を発表し、これを切り口に参加者が自由に意見交換をするものです。興味のある方はお気軽にご参加ください。非会員も歓迎しています。

日 時:2018年9月22日(土)18:00~20:00
会 場:柳田國男館会議室
発 表:「風切鎌は諏訪信仰か」今井啓
    「大火の記憶とすまい」松上清志

第2回伊那民俗研究集会【終了しました】

「コト八日行事と神送り」をテーマに、2日間にわたって記録映像上映や研究発表、講演、シンポジウムなどを行います。

期 日:2018年10月27日(土)~28日(日)
会 場:飯田市美術博物館講堂
参加費:500円(資料代)

詳しくは「講座・講演会」のページをご覧ください。→こちら

南信州民俗芸能フォーラム in 國學院【終了しました】


和田系の遠山霜月祭りの映像上映や講演、実演などが行われます。当研究所後援。

日 時:2018年11月10日(土)12:00~17:30
会 場:國學院大學常磐松ホール(渋谷区東4-10-28)
参加費:無料

詳しくは「講座・講演会」のページをご覧ください。→こちら

11月例会

日 時:2018年11月24日(土)18:00~20:00
会 場:柳田國男館会議室
発 表:北原いずみ/寺田一雄

12月例会

日 時:2018年12月22日(土)18:00~20:00
会 場:柳田國男館会議室
発 表:片桐みどり/櫻井弘人

2019年

1月特別例会「折口信夫を読み解く」

第2回「鬼の話」を読む

日時:2019年1月12日(土)14:30~18:00
会場:柳田國男館書斎
参加費:500円(資料代として)
講師:小川直之所長
内容:折口信夫の「鬼の話」を読む。奥三河・遠州北部から南信州にかけての地域の祭りに登場する「鬼」を論じたもので、来訪する神である「まれびと」の祭りと、祭りに登場する「もどき」から日本の芸能について論じている。

2月例会

日時:2019年2月23日(土)18:00~20:00
会 場:柳田國男館会議室
発 表:宮下英美/岡庭圭佑


2018年9月3日月曜日

【報告】特別例会〈折口講座〉第1回を開催しました


 小川直之所長による講座「折口信夫を読み解く」の第1回が2018年8月18日に柳田館で開かれ、27人が聴講しました。


 今回使用したテキストは講演筆記のため読みやすい「祭りの話」(1947年)です。折口はこの中で「まつる」という語は古くは供え物をする意味だったとし、供え方には高く盛る「立てまつる」、台に並べる「置きまつる」、そして有象無象の精霊などのために地面に置くという3つがあったと述べています。
 そして神に供物を捧げ服従を誓うのが「まつらふ」であり、諸国の初穂(税)を滞りなく収めさせることが「まつりごと」であったと説明しています。

 小川所長は、「まつる」のさらに古い意味は神が人へ宣命を行うことであると折口が考えていたこと、上納と下賜の関係は現在の盆暮れの贈答にもつながり、霊魂の力を身につける「たまふり」とも関わってくることを解説。
 祭りは神との共食に意義があるため、現在の神社で主流の生饌(生の供物)よりも、家庭で行われている熟饌(調理した供物)の方が古いあり方だろうと指摘しました。


 また、「折口の論文は具体的事例をほとんど示さず、非常に抽象性が高いため読者に高い教養を要求する。かたや柳田は見たもの聞いたものを次々と並べる紀行文の名手。これが両者の大きな違い」とし、折口を読むことが柳田をさらに理解することにつながると強調しました。(文責 今井啓)



2018年9月2日日曜日

信濃毎日新聞発行「週刊いいだ」で当研究所が紹介されました

 信濃毎日新聞社が発行するフリーペーパー「週刊いいだ」2018年8月23日号にて、柳田國男館と伊那民俗学研究所が紹介されました。

 「国登録有形文化財を訪ねて」というテーマで、下伊那教育会館(飯田市仲ノ町、2014年登録)とともに取り上げられました。
 表紙には柳田館の書斎で談笑する当研究所の松上清志事務局長と中山京子会員が登場。2面では柳田館(喜談書屋)の歴史と現在の役割、研究所の概要などが紹介されました。


2018年8月2日木曜日

【報告】「美博まつり」でワークショップを行いました

 2018年7月28日(土)・29日(日)に飯田市美術博物館で行われた「美博まつり」で、当研究所は七夕飾り作りなどのワークショップを行いました。
 会場となった柳田國男館では、高森町の朗読サークル「たんころりん」の皆さんによる民話朗読なども行われ、多くの親子連れで賑わいました。


 柳田館のホールには、笹飾りとともにサトイモの葉、夏野菜、硯などを展示。来館者がサトイモの葉の露で墨をすり、短冊に願いごとを書けるように飾り付けました。

ワークショップ
 思い思いの七夕飾りと短冊を作り、笹の枝に飾って持ち帰ることができるワークショップは子どもたちに好評でした。

七夕行事のビデオ上映
 書斎では、DVD「新野の年中行事」から七夕の部分を抜粋して上映し、この地方の伝統的な七夕行事を解説しました。

「たんころりん」の公演

 また、高森町を拠点に活動する朗読サークル「たんころりん」の皆さんが、河童にまつわる昔話や「銀河鉄道の夜」など夏らしい作品を読み聞かせてくれました。

 なお、サークル名「たんころりん」は、収穫されない柿が变化した妖怪として水木しげるの妖怪画などで有名ですが、これは柳田國男が戦前にこの書斎で開いた「民間伝承の会」の機関紙『民間伝承』3巻12号(1938)で、柳田が「タンタンコロリン」という仙台の伝承を紹介したのが始まりです。

 それまでの猛暑も少しやわらぎ、飯田城址の樹々を抜けて館内に入ってくる風が心地よい2日間でした。

2018年8月1日水曜日

【報告】『飯田・上飯田の民俗2』調査報告会を開催

2018年6月24日、飯田市美術博物館講堂で民俗調査報告書『飯田・上飯田の民俗2』の調査者による報告会が行われました。約40人が出席し、調査者6人の報告に耳を傾けました。
子どもの遊びについて報告した片桐会員

報告会には約40人が参加

講評する小川所長

 小川所長は、「その土地に生きてきた過去の人々の喜怒哀楽を明らかにするためには民俗調査が重要。今回の報告の中には、これからの飯田下伊那を作っていくヒントがある。これをスタートとして、さらなるステップに進んでほしい」と講評しました。

2018年6月8日金曜日

【報告】2018年度総会と記念講演会、会員発表会を開催

 当研究所の2018年度総会が、5月27日、飯田市美術博物館講堂で開かれました。会員21名が出席し、決算報告・予算案・事業計画案・所長交代人事案など全ての議題が原案通り承認され、部会報告が行われました。

福田所長が退任、小川直之國學院大學教授が4代目所長に


 2012年度から6年間当研究所をご指導くださった福田アジオ所長は、入門講座および入門ゼミナールでの指導、研究所規則の制定、飯田・上飯田民俗調査の指導、伊那民研叢書の発行などにご尽力いただきました。しかし体調などを理由に2017年度をもって退任したいとのご意向を2年ほど前から強く示されていたため、運営委員会では新所長にふさわしい人選を進めてきました。

 第4代所長に就任いただいた小川直之先生は、國學院大學文学部教授および同大の折口博士記念古代研究所長として、折口民俗学の再検討を進めるとともに、アジア各地の民俗との比較研究に取り組んでいます。
 柳田民俗学の「始まりの地」の一つともいえる宮崎県椎葉村を含む九州の神楽保存にも力を注いでおり、同時に飯田下伊那でも新野の雪祭り調査などを長年行っています。2015年度からは「南信州民俗芸能継承推進協議会」のアドバイザーも務めています。

 福田前所長は退任のあいさつで
「研究所のみなさんとの交流は大変刺激になり、毎月大変楽しく飯田へ通わせていただいた。諸般の事情でこの地域に滞在して調査を行うことがほとんどできなかったかわりに、入門講座などを通じて所長の任を果たさせていただいた。一周り若い小川新所長を戴いて新しい研究所の発展を期してほしい」
 と述べました。
退任のあいさつを述べる福田前所長


 小川新所長は
「全国的から見ても、伊那谷を含む天竜川流域はとても質の高い民俗文化が蓄積・継続されている。私がこの地域に入ったのは昭和48年に上村下栗へ入ったのが最初で、過疎化が目に見えて進行する20代前半のことだった。何年間か続けて入らせてもらい、過疎化が目に見える形で始まるのを目の当たりにした。
 所長の任をいただいたのを機に私自身も改めて学びながら前に進みたい。椎葉村の神楽研究所など、他団体との連携もできればいいと考えている」
 と抱負を述べました。

就任のあいさつを述べる小川新所長

新所長の記念講演と若手会員2人の発表


 続く記念講演で、小川所長は「翁ともどき―折口信夫が南信州で考えたこと―」と第して講演。折口が新野の雪祭りや西浦の田楽などを調査研究しながら、「まれびと」「おきな」「もどき」といった独自の概念・理論を生み出していった経緯を解説しました。


 小川所長は「折口の文章は抽象度が高いので、その背後にある具体的な事象を読み手が理解できるかどうかが鍵になる」としたうえで、「現在の能楽研究・歌舞伎研究は、いまだに折口が行った研究の域を出ていない」と指摘。
 「折口の説が正しいかどうかはこれから検証が必要であり、そのためにも三遠南信の芸能研究は欠かすことができず、伊那民研や美博の果たす役割がとても重要」と述べました。

 続いて2名による会員発表が行われました。
 まず、近藤大知会員(國學院大學院生)が「近世奥三河における流通と商人議定」と題して、花祭りを伝えてきた愛知県東栄町の振草郷で天保年間に起こった議定論騒動を分析し、貨幣経済の浸透や商品流通の変化が騒動の原因となったことを指摘しました。
近藤会員

 次に中島悦子会員が「上村下栗の自宅葬」と題して、現在では殆ど見られなくなった自宅葬の様子を、平成19年に下栗で行った調査をもとに報告。会葬者が頭に三角形の白い紙をつける伝統的な葬儀スタイルを抱負な写真で紹介しました。
 また、「シジュク(四十九)の団子」「三角ずし」「五目おにぎり」「ケンチャン」「乾麺のてんぷら」「せんべいの天ぷら」など、独特の儀礼食文化があることも報告しました。

中島会員

 講演会は70人余が聴講し、盛況となりました。 
 夜は市内の料亭「松楽」にて、新旧所長の歓送迎会をかねた懇親会を開催しました。

2018年6月6日水曜日

【報告】「柳田国男青春の地」を探訪しました

 当研究所は2018年4月20日~21日の1泊2日の日程で、柳田国男の「青春の地」などを訪ねる探訪会を実施しました。福田所長を含む6名が参加し、国男が少年時代の約3年間を過ごした茨城県利根川町布川、国男の長兄松岡鼎や両親が骨を埋めた千葉県我孫子市布佐、千葉県立房総のむら(千葉県栄町)、国立歴史民俗博物館(茨城県佐倉市)などを探訪、見学しました。

4月20日


 飯田を午前6時に出発し、中央自動車道、圏央道、東京外環などを経て我孫子市へ。手賀沼に立ち寄って昼食をとったのち、我孫子駅で福田所長と合流し、利根川の左岸にある茨城県利根町に向かいました。

手賀沼。周囲には将門神社など興味深いスポットも多い

利根町役場


町役場前には「民俗学の父柳田國男 第二のふるさと利根町」の看板
まずは役場庁舎に立ち寄り、パンフレットなどを入手。庁舎は周辺ののどかな田園風景とは一線を画す大きなものでした。この庁舎が建てられた平成元年当時は、東京のベッドタウンとして人口が大きく伸びていたとのことです。
大きな町役場庁舎

柳田國男記念公苑(小川家跡)


松岡家の長兄鼎は、故郷の辻川(兵庫県福崎町)の小学校長を辞したのちに医師となり、縁あって布川の小川家の離れに住んで「斉衆医院」を開業。経済的に自立した鼎はまず弟(六男)の国男を呼び寄せ、次いで両親(松岡操、たけ)や静雄(七男)、輝夫(八男)を呼び寄せました。
 国男は13歳からの約3年間をここで過ごします。
 小川家があった場所には1958(昭和33)年~1989(平成元)年まで利根町役場が建てられていましたが、役場が現在地に移転した後の1992(平成4)年に母屋が復元されて「柳田國男記念公苑」になりました。

柳田國男記念公苑
現在は地元住民の集会などに利用されており、見学希望者は無料で入場できます。調理室などもあり、子どもたちが寝具持ち込みで夏合宿などを行っているとのことでした。

土蔵(資料館)と小川家氏神
母屋の裏には、土蔵と氏神が当時の場所に残されています。国男が「利根川図志」などを乱読したこの土蔵は、現在は資料館となっています。
 氏神はかやぶきの家を模した石造の祠で、はめこみ式の蓋がついていました。国男はこの蓋を開けて御神体の丸石を見た途端、見上げた青空にいくつもの星が見えたと述懐しています。
 土蔵には丸石のレプリカが展示されており、実物は利根町生涯学習センターで見学することができます。

氏神御神体の玉(レプリカ)

徳満寺

公苑から徒歩15分ほどの丘の上にある徳満寺は、その地蔵堂で国男が「間引き絵馬」を見て衝撃を受けた寺として有名です。

徳満寺地蔵堂
現在の地蔵堂に絵馬はなく、庫裏を訪ねたところ本堂内に掲げてあるとのこと。快く見学させてくださいました。

本堂内に掲げられた間引き絵馬


間引き絵馬実物(デジタル加工で遠近補正)

複製絵馬
実物の代わりにかつて地蔵堂に掲げられていた複製絵馬も、本堂内に置かれていました。間引かれた嬰児の魂を迎える地蔵や、障子に映った女性の角などがよく分かります。

凌雲堂医院跡(我孫子市布佐)

国男が上京したのち、鼎は利根川対岸の布佐町(現我孫子市布佐)に移住し「凌雲堂医院」を開院。のちに郡会議員や千葉県医師会長、布佐町長などを歴任し、この地に骨を埋めることになります。

鼎が移住した凌雲堂医院跡
現在の松岡家のご当主は成田市で医師をなさっているとのこと。立派な木が茂った庭は、現在も頻繁に手入れがなされているとのことでした。

松岡家墓地

鼎や両親の墓は、布佐の勝蔵院裏の墓地の中にありました。

松岡家の墓に参拝

竹内神社の桜植樹記念碑

竹内神社境内の碑

 墓地から徒歩10分ほどのところにある竹内神社の境内には、鼎らが1905(明治38)年に、日露戦争の旅順陥落を記念して桜500本を植樹したことを記す記念碑が残っています。「IN MEMOEY OF THE CONQUEST OVER THE RUSSIANS」と刻まれ、寄進者7名の中には、松岡鼎に続いて柳田國”雄”や松岡静雄の名もあります。
 名前を誤って刻まれてしまった国男たちの心境、無理に修正を求めなかった理由を想像すると興味深いものがあります。
 境内には数本の桜の木がありましたが、当時植栽されたものでしょうか。

■参考:松岡鼎関連年表

1860年(万延元年)10月、松岡鼎誕生(兵庫県辻川)
1875(明治8)年 松岡国男誕生
1878(明治11)年 鼎、教師になる
1879(明治12)年 鼎、松岡家の家督を相続。小学校校長となる
1881(明治14)年 鼎、上京し東京帝国大学医学部別科に入学
1887(明治20)年 鼎、2月に茨城県布川の小川家にて開業。9月に国男を引き取る
1889(明治22)年 鼎、9月に両親・静雄・輝夫を引き取る
1990(明治23)年 国男が上京し三男井上通泰(泰蔵)の元へ
1893(明治26)年 鼎、一家で利根川対岸の千葉県布佐へ移住。凌雲堂医院を開院
1896(明治29)年 7月に母たけ逝去、9月に父操逝去
1903年(明治36)年 鼎、東葛飾郡郡会議員に選出される
1920(大正9)年 鼎、千葉県医師会第4代会長に就任
1927年(昭和2)年 鼎、布佐町長に就任。1期を務める
1934年(昭和9)年 鼎、1月28日に逝去

4月21日

ビジネス旅館布佐に宿泊し、翌日は千葉県立房総のむらと国立歴史民俗博物館を見学しました。

千葉県立房総のむら

房総のむら」は、江戸時代後期から明治初期までの商家、武家屋敷、農家などを、町並みや景観ごと再現した屋外博物館です。それぞれの建物ではさまざまな体験ができるようになっています。

商家の町並み

農村エリアの入り口に設けられた「綱つり」
農村エリアには千葉県内の3地域(上総、下総、安房)を代表する名主クラスの民家が再現されています。民家の周辺では田畑が実際に耕作されているほか、魔除けの「道切り」や安産祈願の「犬供養」などの信仰物も再現展示されており、興味が尽きません。

木にわら蛇を巻き付けた「辻きり」
安房の農家

国立歴史民俗博物館

続いて、佐倉市にある国立歴史民俗博物館を見学。民俗関連の第4展示室は2013(平成25)年に展示がリニューアルしています。
民俗展示では、冒頭から大量のおせち料理サンプルに迎えられて一同びっくり。妖怪、東日本大震災の被災民家復元など、現代的なテーマや一般客が興味を持ちやすいテーマを大きく扱っている点が興味深く感じられました。

近江西物部集落模型

 名誉教授である福田所長によると、リニューアル前の展示物でも、貴重なレプリカやジオラマは残して利用しているとのこと。その一例として、福田所長が現職時代に担当した近江西物部集落模型(上写真)は、以前は村落空間を解説するためだったものを、新展示では稲作暦というテーマの中で活用しているそうです。

 1日目は柳田国男および松岡家ゆかりの地をディープに探訪し、2日目は県と国が力を注いだ最新かつ意欲的な博物館展示を福田所長直々の解説で見学できました。とても贅沢かつ有意義な探訪会となりました。
(文責:今井)