最新のお知らせ

2024年5月26日(日)に2024年度の総会と記念講演会および研究発表会を美博講堂で行います。

2019年12月28日土曜日

活動報告(2019年8~12月)

12月通常例会(2019年12月21日)


湯澤直人「飯田下伊那における『無尽』」


 湯澤会員は、福田前所長の「民俗学入門ゼミ」以来テーマとしている「無尽」について報告。飯田には飲食店を会場とした無尽が多く、安定した売上を確保するために飲食店経営者が積極的に無尽を行っている例があること、ゴルフ仲間の無尽、寺院の総代による無尽などさまざまなものがあり、親睦や人脈づくりに大きな意味が置かれていることを示しました。

片桐みどり「上郷飯沼の機織り」


 片桐会員は、飯田市上郷飯沼において機織業が発達した歴史をまとめるとともに、機織り工場を経営していた女性へ聞き取り調査をした成果を発表しました。

探訪会「古戸の白山祭り」(2019年12月14日)


 愛知県東栄町古戸の山中で行われ、奥三河に伝わる花祭りの起源ともいわれる「白山祭り」を見学しました。現地集合も含め5名が参加しました。
険しい登山道

 通常1時間程度の山道を登った白山神社で行われるこの祭りは、湯立神楽はないものの、これを行わないと花祭りを始められないとされ、修験者がここでの祈祷で行った舞が花祭りに進化したのではないかともいわれているそうです。櫻井会員は昨年12月の通常例会で、古戸の白山祭りと飯田の風越山白山権現で行われていた「オクンチ」行事との関連性に着目した発表を行っています。
 山頂付近の山の神、御崎神、高嶺様に酒・餅・穀類などを献じる神事から始まり、開山の祖を祀った聖堂での回向、社殿脇の住吉社への舞奉納、境内に設けられた舞庭での「お珠の舞」など、興味深い儀礼と舞が行われました。
 昼食時には見学者全員に味噌汁とぼたもちが振る舞われ、思い出深い探訪会となりました。

高嶺祭り

お珠(たま)の舞

外宮の舞


上郷飯沼の民俗第2回合同調査(2019年11月2~4日)


 國學院大學の皆さんを含む調査員12人で秋の調査を実施しました。北条と南条地区を重点に、「飯沼の昔と今を語る会」や個別訪問調査などを実施しました。柿の収穫など農繁期と重なり、「語る会」に地元からご出席いただいた方は少なかったものの、貴重なお話をうかがうことができ、今後につながる3日間となりました。


第3回伊那民俗研究集会「残された写真から地域の民俗を読み解く」(2019年10月13、14日)


 初日は市村或人・向山雅重・熊谷元一・吉澤良公の残した写真記録とその保存・活用について報告が行われ、2日目には「台所」「養蚕」「婚礼」といった視点から、写真に残された情報を読み取る研究発表などが行われました。
 参加者から寄せられたアンケートでは、「写真の活用法を知り、大変刺激になった」「アーカイブ写真の可能性を感じた」「画像という新しい視点から民族に光を当てるよい集会と感じた」といった感想が寄せられました。
 集会の開催時期が台風19号の上陸と重なり、例年と比べて参加者数は若干少なめでしたが(初日41名、2日目30名)、豊富な写真や映像が紹介されて有意義な集会となりました。


9月通常例会(2019年9月28日)


寺田一雄「桜井伴―その人と民俗」

寺田会員は、清内路(現阿智村)で農業を営みながら「清内路村誌民俗編」を著すなど飯田下伊那の民俗研究に大きく貢献し、当研究所の運営委員なども務めた桜井伴氏(1915~2008)の生涯と業績を紹介。当時は飯田下伊那でもっとも民俗学に詳しく、頼りになる存在だったと振り返りました。
 話者名や調査地などの基本情報があいまいな点が多いなど限界はあるものの、生活者としての経験に基づき、地に足のついた研究を貫いた姿勢は民俗研究の原点ともいえる、と評価しました。


小山田江津子「長野県における婚姻入家儀礼」

小山田会員は、花嫁が婚家に初めて入るときにさまざまな儀礼がともなう事例とこれまでの先行研究を紹介。長野県内の市町村史から72例を抽出した結果では、鼻緒を切った草履を屋根に投げる事例や花嫁に水を飲ませる事例、子どもがタイマツを焚く事例などが多くみられることを示しました。


「死者の書」上映解説会(2019年8月18日)

飯田市美術博物館講堂で行われた標記上映解説会には、43人が参加しました。
 折口信夫の同名小説(昭和14年)を人形アニメーション化したこの作品は川本喜八郎監督の遺作で、「1コマサポーター」制度で多くの人々の支援を受けながら完成した長編(70分)です。飯田市民も支援を行い、完成時には飯田でも上映会が行われました。
 当研究所の所長に就任した当初からこの会の開催を望んでいたという小川所長は、「折口は飛鳥時代への関心が高く、仏教の流入によって日本人の死生観がどのように変わったのかを芸術作品を通じて描こうとした」と説明。小説には奈良時代の民俗文化が散りばめられており、アニメでもうまく表現されていることを紹介しました。


 また折口は絵が巧みで、この小説からも情景、色彩、音がよく伝わってくること、川本監督のみならず漫画(近藤ようこ)や邦楽(今藤政太郎)などの分野でもこの小説に惹きつけられ、創作意欲を刺激された人たちがいることを紹介しました。
 そして、「川本さんが30年かけて作り上げたこの作品を、1回見ただけで理解しようとするものではない。着目点を変えながら何度も見返してほしい」と呼びかけました。


第3回特別例会 折口講座「『髯籠の話』を読む」(2019年8月17日)


 小川所長の折口講座には22人が聴講しました。この論文は大正5年に雑誌『郷土研究』に掲載されたものですが、主宰していた柳田が自身の論考「柱松考」に言及する一文を加筆するなど、両者の「バッティング」がよく知られています。
 小川所長は、両者が同時期に同じテーマを競って理論化しようとしたことでこの分野の研究が大きく進展したことを評価すべき、とし、折口は柳田の説を咀嚼しながら自分なりの研究を進めていた、と述べました。



 「髯籠の話」で論じられた標山・依代論は後世に受け入れられた一方、もう一つの主題である太陽信仰論は今ではほとんど顧みられておらず、研究者も手を付けたがらない現状があると小川所長は指摘しました。

2019年9月23日月曜日

【報告】飯沼の民俗 第1回合同調査を実施しました

 2019年8月6~8日に「上郷飯沼の民俗」の第1回合同調査を行い、調査員15名が参加しました。
 上郷公民館の協力により事前に広報チラシを上郷地区内に回覧して広報を図ったほか、上郷史学会および「丹保の今昔を語る会」の協力で、飯沼南地区と丹保地区を対象に、地元の皆さんにお集まりいただく「飯沼の今と昔を語る会」を開催しました。
 6日の飯沼南自治会館と7目の丹保研修センターにはそれぞれ7名がお越しくださいました。その後も調査員各自が訪問調査を行うなど、充実した3日間となりました。

飯沼南会場
 語る会に足を運んでくださった方々の多くは、染織業や農業を家業とされていました。丹保のある家では、養蚕に使っていた家屋や道具が後の干し柿作りに利用できたというお話を伺いました。
丹保会場

リニア建設による大きな変化を前に、飯沼の人々がどのように生活してきたのか、学ぶべきことが多いと感じられる調査となりました。

 第2回合同調査は11月2~4日に予定しています。調査に関心のある方はお気軽にお問い合わせください。

2019年8月25日日曜日

【報告】第7回通常例会を開催

6月22日に第7回通常例会と第2回飯沼の民俗調査ミーティングを開催し、12人が参加しました。 例会では松上会員と中島会員が発表を行いました。

松上清志会員「阿智村清内路における出作り」

発表要旨 阿智村清内路で「出作り」をするための家(山の家)は、昭和初期に91戸(市川康夫『信濃』2013.11)、昭和48年に70戸(千葉徳爾『伊那』1974.1)あったとされる。さらに最近の横浜国立大建築計画研究室の調査では、かつて97戸が存在しそのうち77戸の建物を現認できたという。
 今や最後の1軒として出作りを続けている桜井藤寛さん(昭和14年生まれ)からは、煙草栽培をめぐる専売公社との駆け引きや、養蚕を盛んに行い身内に不幸があってもろくに葬式も出せないほど忙しかった頃の話をうかがった。農地のそばで暮らす出作りの意義について桜井さんが語った「歯ブラシをくわえて農作物の出来を見れるようでなければ、いいものは作れない」という言葉が心に残った。

中島正韶会員「飯沼北条の小字地名考(1)」

発表要旨 飯沼という地名は、鎌倉時代の『善光寺縁起』に「宇沼」とあることから、これが「鵜沼」→「飯沼」になったとの説がある。また、自然地形を由来とする説に立てば、イイ・イヒは段丘など小高い場所をさすと考えることもできる。
 この地域の小字についての先行研究は市村咸人編『下伊那地名調査』1958や日下部新一『上郷地名考』付録1988、今村理則『上郷町の小字と小字地図』2013などがある。
 北条地区付近の地名を具体的に見ていくと「大明神原」「権現」「ビクニ田」「院下洞(エンゲボラ)」など信仰と関わりの深い地名があり、「高松」などは善勝寺との関わりが想像される。また「二反所(ニタショ)」「漆田(ウルシダ=潤田)」など、湿地を示す地名も目立つ。
 リニア駅建設にともなって忘れ去られていく小字地名も多いとみられる。上郷史学会でも調査を行ってきたが、今回の「飯沼の民俗」調査でもさらに進めていきたい。

2019年8月1日木曜日

8月17日に折口講座を、翌18日に「『死者の書』上映・解説会」を開催します【終了しました】

2019年8月17日(土)14:30~18:00、柳田國男館で小川所長による第3回特別例会<折口講座>「『髯籠の話」を読む」が開かれます。参加費500円。日本の祭りや年中行事の仕組みを知る基本理論といえる「標山(しめやま)」「依代(よりしろ)」を説いた大正4年の論文をわかりやすく読み解きます。



2019年8月18日(日)13:30~16:50、飯田市美術博物館講堂で「『死者の書』上映・解説会」を開催します。折口信夫の原作小説を川本喜八郎監督が人形アニメーションとして映像化し、川本監督の遺作となった作品です。小川所長が「折口信夫『死者の書』の趣意」と第して講演を行います。

折口講座、死者の書上映解説会ともに、詳しくは「講座・講演会」のページをご覧ください。

2019年6月11日火曜日

【報告】飯田市上郷飯沼を探訪しました

 本年度からの「飯田市上郷飯沼の民俗調査」に向け、研究所の探訪会を兼ねて同地区の史跡などを見学する探訪会を2019年5月27日に実施しました。15名が参加しました。

 案内役は、上郷史學会長の中島正韶(まさあき)氏と、飯沼在住の郷土史家である岡田正彦氏です(ともに研究所会員)。飯沼諏訪神社を皮切りに、鶏足院、北条薬師堂、筒井捺染工場、田薗神社、リニア駅建設予定地、恒川遺跡(座光寺)、高岡古墳(同)、田中八幡宮、雲彩寺と天神塚古墳を巡りました。

御柱祭なども行われる飯沼諏訪神社
 飯沼諏訪神社では、社殿裏の土塁や空堀など、飯沼城の痕跡を見学。
かつて上郷村の役場が置かれた鶏足院

数少なくなった染物工場(筒井捺染工場)
 リニア駅建設にともなう移転対象地となっている筒井捺染工場では、貴重な型染の工程を見学。社長の筒井克政さんが娘さんとともに江戸小紋染の工程を案内し、技術や道具も含めて存続の危機にある現状を淡々と説明してくれました。参加した國學院大學の学生たちは、完成した染物の繊細な美しさに驚いた様子でした。

恒川清水(座光寺)
 昼食後は、郡衙跡であることが有力視されている恒川遺跡を見学。
高岡古墳石室(座光寺)

田中八幡宮の池
 田中八幡宮では、鎌倉権五郎景政が怪我をした目を洗ったところ傷が治り、イモリが片目になったという伝説の残る井戸を見学。
鎌倉権五郎の墓と伝わる宝篋印塔(雲彩寺)
 雲彩寺では、権五郎の墓と伝わる宝篋印塔と、馬鈴などが出土したことで有名な飯沼天神塚古墳を見学。
天神塚古墳の後円部(雲彩寺)

 探訪後は柳田館で調査ミーティングを行い、今後のスケジュールや各自の担当テーマなどを確認しました。

2019年6月10日月曜日

【報告】2019年度総会研究発表

2019年度総会の研究発表では、2名の会員が研究発表を行いました。

片桐みどり会員「子供の行事 天神様」

【要旨】
天神様の祭りは、飯田・上飯田ではほとんど誰も知らないが、周辺部では2月25日を中心に多くの地域で行われていた。私の住む飯田市松尾久井では、PTAの行事として現在も1月に行っている。子どもたちが天神様にお参りした後、賽銭箱を持って地区内を回る。寒くて大変だろうと思うが、「歌を歌って面白かった」「お賽銭をもらえてうれしかった」と肯定的な感想が聞かれた。
片桐会員


 こうした行事は戦前は高等科の生徒たちを中心に行われていたが、戦争前後に多くが途絶えた。残った地区でも、新学制により中学生が参加しなくなると、大人たちが計画実行を担うようになった。

今井啓会員「柴刈りと洗濯の民俗」

【要旨】
 飯田下伊那のシバカリは、肥料として水田に敷き込むカリシキ(刈敷)が重要だった。カリシキと同じ意味でタタカリ(叩刈)という語もあるが、県内では下伊那が中心であり、県外では飛騨地方や岩国地方など分布が限られているとみられ興味深い。カリシキにはクヌギの若葉がよいとされ、高森町には毎年枝を刈られた「カリシキの木」が現存する。

高森町牛牧の「カリシキの木」(クヌギ)

 一方、飯田下伊那に洗濯機が普及したのは昭和30年代からで、それ以前の貧しい時代は洗剤替わりに豆腐の搾り汁を使ったり、疎開家庭が使った後の石鹸水をもらったりと、さまざまな苦労があった。洗濯は家事の中で優先順位が低く、嫁は自由に洗濯することもできなかったと向山雅重が書いている。
 山のシバも洗濯の汚水も、最後は田畑の肥料となった。坪井洋文はカリシキに山の霊力を移入する信仰的意味を見出そうとしたが、だとすれば田畑は聖なるものも穢れたものも区別なく受け入れて豊穣に変える場所だったといえる。

(文責:今井啓)

2019年6月9日日曜日

【報告】研究所総会および記念講演会

2019年5月26日(日)、飯田市美術博物館講堂にて当研究所の総会および総会記念講演会、会員による研究発表が行われました。

 2019年度総会には20人が出席し、議案はすべて承認されました。
 本年度の主な事業予定はこちらをご覧ください。→年間予定

総会記念講演会
小澤俊夫 筑波大名誉教授(小澤昔ばなし研究所所長)
「柳田國男と昔話研究」

【講演要旨】
 ぼくは東北大大学院の修士論文でグリム童話の成立史を調べていた25歳のとき、『ドイツ民俗学雑誌』を読みたくて成城の柳田先生の研究所(移築前の柳田國男館)を訪ねました。夕方4時半頃、ドアを叩くと和服姿で小柄な先生ご本人(当時82歳)が出てきて、目の前が真っ白になりました。鋭い目で「何の用か」「紹介はあるのか」と聞かれ、「まあ入りたまえ」と招き入れてくれました。廊下が普通の家よりも広かったことが印象的でした。

小澤俊夫氏

 広い板の間には机が4~5台あって、男の人たちが4~5人勉強していたと思います。先生は「こっちだ」と左の方の棚を教えてくださって、自分の机に戻っていかれました。
 ぼくは目的の雑誌を写したり読んだりして、一時間ほどして帰ろうとしたした頃には先生の他に誰もいなくなっていました。先生にお礼を言うと、「君、何を調べているのか」。「グリム童話の成立史を調べております」と答えると、「そこへかけたまえ」と言われて一対一で座っちゃったんです。先生がいろいろ質問なさるので、ぼくはうれしくなって、勉強したてのことを一生懸命しゃべると、先生は「ちょっと待て」と文机から小さな手帳を持ってきて、ぼくがしゃべることをメモし始めたんです。初対面の若造が言うことなのに、知らないことは全部メモするんだ、学者ってこういうものなんだと思いました。
 別れ際、「君、グリム童話をやるなら日本の昔話もやってくれたまえ」と言われてびっくりしました。「くれたまえ」って、先生のためにやってるんじゃねえやと思ったけれど、衝撃的でした。その日はそのあと何をしたか覚えていません。ぼくが日本の昔話も研究するようになったのはそれからです。

 日本の昔話も、長いもの(本格昔話)の多くは全世界に類話があります。それらはおそらくどこかに源があり、人類の移動や交流によって広がったでしょうが、それを解明するのはとても難しい。
 柳田先生は『日本昔話名彙』(1948)で、日本の昔話を2分類し、奇跡的な誕生をした神の子が成長して英雄的行為を成し遂げる「完形昔話」と、そこから派生した「派生昔話」の二つを想定しましたが、一方では日本のものだけで研究するのは危険だと気付いていたと思います。
 柳田先生の弟子でぼくも親しくさせていただいた関敬吾先生が『日本昔話集成』(1950)を出してからは、日本でも国際的なAT(アールネ・トンプソン分類)による3分類(本格昔話、動物昔話、笑話・逸話)が定着しました。これは2015年にATU(アールネ・トンプソン・ウター分類)として改訂されています。

 戦後、日本の昔話が「好戦的だ」「文芸的価値が低い」と批判されていたことを柳田先生はとても心配していたと思います。だからぼくに期待をかけてくれたのでしょう。
 とくに松谷みよ子さんが「竜の子太郎」で大成功したせいで、「昔話はああいう立派な文学にしなければいけないんだ」という認識が広まって今でも続いています。ぼくはそれに抵抗しているんです。
 昔話は読まれてきたものではなく、耳で聞かれてきたもの。ぼくはマックス・リュティの論文「ヨーロッパの昔話―その形と本質―」に出会い、衝撃を受けてさっそく翻訳しました。この論文は柳田先生が『名彙』の序文を書いたのと同じ1947年に出されたもので、「昔話は同じ場面は同じ言葉で語る」「同じ場面を3回繰り返す」「極端かつ平面的に表現する」といった革命的な文芸論です。ぼくがフィールドワークしてきた実感とも一致するものでした。ぼくはいま、彼の理論に従って昔話をシンプルな言葉でリライトする「再話」を全国40数カ所の昔ばなし大学の皆さんと取り組んでいます。

 昔話は人間の一番基本的なところから生まれたものです。生の語りを聞くことで、子どもたちは「自分は愛されている」「信頼されている」という実感を持ちます。子どもたちの、みずから「こうありたい」と願う姿に成長する力―ドイツ哲学でいうところの「形式意志」―を、大人は信じてやるべきではないでしょうか。
 昨日と今日、再話した全国の昔話を語る会を柳田館で開いたのは、柳田先生の期待に応えるためです。まるで先生があの書斎にいるように感じました。飯田でこうした話をできることをとてもうれしく思います。(文責:今井啓)

柳田館で(5月25日)

2019年5月7日火曜日

4月例会報告

  2019年4月27日に第5回通常例会を開催し、6人が参加しました。
 2019年度から予定している飯田市上郷飯沼およびその周辺地域の民俗調査に向けて、今井会員が同地域の基礎的な歴史や参考文献などを紹介しました。 

発表 今井啓会員「上郷飯沼民俗調査にあたっての予備知識」


 発表要旨 飯沼地域は北を土曽川、東を天竜川、南を栗沢川、西を段丘に囲まれており、それぞれ座光寺、喬木村、上郷別府、上郷黒田と接している。5つの古墳が現存するなど歴史が古く、旧上郷5ヶ村(上黒田、下黒田、飯沼、南条、別府)の中心的存在として元録山論にも加わった。
 現在は国道153号沿いの典型的な郊外型商業地の印象が強いが、農村景観も多く残っている。
  調査テーマとしては、かつて盛んだった染織業、それを支えた水(用水・湧水)の存在、水の源であり刈敷や薪炭および財政面で重要だった野底山との関わりなどが注目される。 

西側段丘から飯沼を望む

水利施設

天竜川堤防近くに広がる農地



 上郷史学会長でもある中島正韶会員も参加し、野底山の口開けは飯沼村の庄屋が決定するなど森林経営を主導していたこと、近代以降も野底山では明治山論、大正山論など大きな葛藤があったことなどを補足解説しました。

  飯沼地域の民俗調査は総会での新年度事業計画承認を受けて本格始動します。調査参加者を募集しておりますので、興味のある方はお気軽にお問い合わせください。

   次回の通常例会は6月22日(土)15:00~の予定です。

2019年3月24日日曜日

2月と3月の例会を開催しました

2月例会


 2019年2月23日(土)に第4回となる通常例会を開催し、6人が参加しました。

発表1 宮下英美会員「毛賀の伝統花火ブドウ棚」


発表要旨 飯田市毛賀の毛賀諏訪神社には、丸い火薬を房状に吊るして青い炎を楽しむ「ブドウ棚」という伝統花火がある。その始まりは定かでないが、戦争による中断を経て昭和36年に復活。現在は地区の打舞(うちまい)会が技術を受け継ぎ、煙火店の工場を借りて製造している。火薬の調合はもちろん、練り方なども難しい。
 近年は落下したブドウ玉も楽しむような演出も行っている。

発表2 岡庭圭佑会員「南信州の奉納煙火」


発表要旨 伊那谷の煙火を代表する「大三国」は、その設置方法で比較すると、垂直に立てた柱に筒を固定する「飯伊型」、櫓や足場に筒を斜めに取り付ける「上伊那型」、筒を垂直に支える櫓に葉付きの青竹を挟み込む「阿南型」に分類できる。
 阿南型は火の粉を広範囲に飛び散らせる工夫であるという。また、筒の材料は南部では竹が主であるのに対し、上伊那では木筒を用いるところが目立つ。これは北上するほど筒に適した竹が入手しづらいという環境的理由によるものと想像される。 

3月例会


 2019年3月22日(土)に第5回となる通常例会を開催し、8人が参加しました。

発表1 宮下英治会員「民俗学草創期の北設楽と『熊谷家伝記』出版」


発表要旨  天龍村坂部の熊谷家の当主が12代400年余りにわたって書き継いできたという『熊谷家伝記』の版本は、大正12年に愛知県の北設楽郡史編纂会が謄写版20部を発行したもの(北設楽版)が刊行の最初である。続いて昭和8年に市村咸人校訂版(昭和49年復刻)が、昭和56年に山崎一司校訂版が刊行されている。 柳田国男には、北設楽版の発行直後に「副本」が送付されており、これが柳田監修の「野武士の気骨」(『郷土史読本』所収、昭和3年)の元になったとみられる。
 柳田は北設楽民俗研究会の人々に機関紙を発行するよう勧め、柳田の支援や早川孝太郎の尽力により昭和6年の『設楽』創刊が実現した。研究会では同時に設楽近辺の民俗文献を集めた『設楽叢書』の刊行も目指していたが、実現しなかった。
  今後の課題としては、設楽地域全体の民俗研究の動向や、設楽と下伊那の民俗研究者同士の交流についても調べてみたい。

発表2 内山文世会員「川路七区のお天王様」


発表要旨 飯田市川路地区は古くから天竜川の水害とそれにともなう疫病に悩まされ、また河原周辺が開拓されるに従って近隣地区との境界争いも激しかった。川路4区の津島神社は宝暦8(1758)年、庄屋らが江戸表評定所に赴いた際に、領主に勧請を願い出たと伝わる。
 川路七区には「お天王様」と呼ばれる祠がネズミサシの大木の下に祀られ、川路の祇園祭(7月第2土曜日)に合わせて祭事が行われている。七区の会計係がお天王様の会計と広報・通知係を担い、各戸からお神酒銭300円を区費と共に集めるなど、まちづくり委員会の行事の一つとして大切に執り行われている。

3月例会の様子

2019年3月10日日曜日

3月例会のお知らせ

 3月例会を下記のとおり開催します。
 研究所会員が日頃の研究成果などを報告し、参加者が自由に意見交換します。
 会員以外も自由に参加できます。

日 時:2019年3月23日(土)18:00~20:00
会 場:柳田國男館会議室
発 表:宮下英治「民俗学草創期の北設楽と『熊谷家伝記』出版」
         内山文世「川路七区の天王様」


2019年1月19日土曜日

コトの神送り探訪会と2月例会のお知らせ

飯田市千代芋平のコトの神送りを訪ねる


  本年度の伊那民俗研究集会でテーマとなったコトの神送りを準備段階から見学します。
日時:2019年2月9日(土)
集合:午前8時までに美博第3駐車場へ
※美博に戻るのは同日昼前頃になる見込みです。

 参加申し込みは、実施日の1週間前までに当研究所メール(inaminken@gmail.com)へどうぞ。
 参加人数に限りがありますのでお早めにお申し込みください。
 問い合わせは今井携帯(090-1609-8460)へお願いします。

2月例会

日時:2019年2月23日(土)18:00~20:00
会 場:柳田國男館会議室
発 表:宮下英美「毛賀の伝統花火ブドウ棚」
    岡庭圭佑「遠山郷上村のメデタ」

 会員以外の方も自由にご参加いただけます。

小川所長の特別例会「鬼の話を読む」を開催しました

 小川所長による特別例会「折口信夫を読み解く」第2回が1月12日、柳田館書斎で開かれ、約30人が参加しました。
 今回のテキストは1926(大正15)年の講演筆記「鬼の話」です。
 このなかで折口は、古代日本人の神観念にはカミ、タマ、モノ、オニの4つがあるとし、オニは人々に祝福を与える来訪神と、調伏される精霊という相反する二つの性格を内在していると述べています。
 折口のいわゆる「まれびと」論は万葉集の東歌から着想され、沖縄の神事芸能や奥三河の花祭、新野の雪祭などの調査を通じて発展していきました。
 折口は「鬼の話」のなかで、日本人が海から内陸へと居住地を広げるにつれ、「常世」のありかも海の彼方から山の彼方へと変化したことで、カミとオニの境界が曖昧になったのだと説明しています。


 小川所長は、「鬼の話」にさりげなく登場する言葉を一つずつ取り上げ、折口が論拠として想定していた古典知識や芸能、民俗事象について解説。
 一方で、オニの語源は漢語の「隠(オン)」に由来するとの説も有力であることから、折口の「カミ・タマ・モノ・オニ」の4分類は現代の研究者にとって不都合であること、折口は同じテーマを生涯にわたって考え続けるため年代によって論が変化し、どれを彼の説としてとらえればいいのか分かりづらいという批判もあり、鬼についての考え方も例外でないことなどを指摘しました。

2019年1月5日土曜日

【報告】富山御神楽祭りを探訪しました

 本研究所は1月3日、愛知県北設楽郡豊根村富山大谷の熊野神社に伝わる「御神楽祭り」を探訪しました。
 5人が参加し、坂部の冬祭りや奥三河の花祭りとの関係について考えさせられる独特の芸能世界に浸りました。

 御神楽祭りが行われる熊野神社は、1955年に完成した佐久間ダムを見下ろす八嶽山の山麓にあり、1346年の勧請と伝えられています。ダムの完成によって沈んだ他の集落の産土神も祭っており、水没した河内集落にも同様の湯立神楽が伝承されていました。

 祭りの演目は「しめのはやし」から「注連切り」まで25番あります。若干の演目の違いはあるものの、1月3日と4日の二日間にわたってほぼ同じ次第が繰り返されるという不思議な祭りです。

 三遠南信の民俗芸能を語るうえでも重要な存在でありながら、地元の強い意向で国の文化財指定がされておらず、「住民のための神事芸能」として大切に守られています。

 とくに舞に先立ち、社殿裏の斜面にそびえる2本の「天狗杉」に供物を捧げる「天狗祭り」は、一般見物人は近寄ることが禁じられている神秘性がとても印象的でした。

 「どんずく」(獅子舞)を皮切りに繰り広げられる面形舞は、「鬼神」や「祢宜」など厳粛な舞がある一方で、「はなうり」「やしらみふくい」など道化的な演目も多く、見守る地元の人たちが大いに盛り上がっている様子が心に残りました。

写真ギャラリー


熊野神社から見下ろす集落と佐久間ダム

天狗祭りの行列

湯立て(権現の御湯)

花の舞(綾笠の手)
花の舞(剣の手)


どんずく(獅子舞) 獅子にミカンを食べさせる

鬼神

兄弟鬼

禰宜 観客を祓う

しらみふくい

御神供の小豆飯を観客にふるまう