北原いずみ会員「清内路の墓制・葬制」
阿智村清内路には近隣に見られない墓制を持ち、上清内路と下清内路ではっきりとした差異がある。上清内路は浄土真宗の影響が強く、骨垣外(コツガイト)地籍にある清南寺の境内に集落唯一の共同納骨墓があり、「一山一墓」として知られる。
下清内路は集落共同の納骨堂と同族を単位とした一統墓(イットウバカ)があり、骨の大部分は納骨堂に納めるが、年忌や盆に参拝するのは一統墓である。
上清内路、下清内路ともに、共同納骨堂ができたのは作られたのは明治時代の法整備を受けてのもので、それ以前は河原に設けた火葬場に遺骨も放置していた。上清内路はそれまで無墓村だった。
上清内路では葬儀終了後の酒席「ゴクロウブルマイ」のときに火葬の灰が盃に入って酒に脂が浮いたという。
上下ともに、遺骨は薬になるとされ、仏壇の引き出しにしまっておいて厄介な病気の時に煎じて飲んだ。下清内路では共同納骨堂の骨が度々盗まれ、飯田方面で熱冷ましとして売られたという。
中島正韶会員「上郷飯沼郷地名考 湛え「神ノ木」ミシャグジを探る」
飯田市上郷飯沼には、御柱祭が行われる飯沼諏訪神社があり、飯沼郷の地名の初出も1397年に諏訪大社の頭役を務めた記録(守矢文書)であるなど、諏訪信仰が色濃い。上郷上黒田の社宮司社や飯沼北条の分森社(田薗神社境内)はシャグジ神で、飯沼神社の御柱祭では「三社祭」など重要な位置を占めている。
諏訪信仰と関わりが深いミシャグジ信仰を調査した今井野菊は、上郷地区のシャグジ神を4柱(うち飯沼3柱)報告している。その中でも飯沼の「湛え神の木」と呼ばれるという地主神が注目される。
先人の小字調査によると「神の木」という小字は飯沼丹保にあり、そこにはエノキとマキの大木があり樹下に祠があったという。分森社もかつては「キノモト(木の元)」と呼ばれる場所にあった。飯沼のこうした地名を探ることは、ミシャグジ研究の大きな手がかりになると思われる。
当日の映像はこちら→https://youtu.be/TitaWlR7IXc
中島会員の当日配布資料はこちら→https://drive.google.com/file/d/1jSgnREEwlv3Bk-DGEU4onyN-80abv1m8/view?usp=sharing