最新のお知らせ

2024年5月26日(日)に2024年度の総会と記念講演会および研究発表会を美博講堂で行います。

2021年12月19日日曜日

【報告】12月例会 櫻井弘人会員発表(2021.12.18)

下條村・大山田神社の祭礼―獅子舞・湯立神楽・歌舞伎・人形芝居―

 2021年12月18日に行われた例会には10名が参加しました。

 櫻井会員は、長野県下伊那郡下條村の大山田神社に奉納された祭礼絵馬を手がかりに、下條村は中世的な湯立神楽から近世的な獅子舞・歌舞伎・人形浄瑠璃など、三遠南信地域に特徴的な民俗芸能の一大拠点だったことを紹介しました。

発表内容は郷土誌『伊那』(伊那史学会)2022年1・2月号にも掲載されます。


【報告】11月例会 福田菫会員発表要旨(2021.11.27)

「長野県においける盆の儀礼食―オヤキ・饅頭・天ぷら饅頭」

 『長野県史』と県内市町村誌から麺類を除く粉餉(こなけ)の事例を抽出し分析したところ、オヤキは北信、饅頭は東信、団子と餅は中南信に集中していることが分かった。

 上伊那での聞き取りによれば、天ぷら饅頭は彼岸・盆・葬式などに食べ、油も饅頭も貴重なのでご馳走として扱われる。饅頭は日が経つと固くなるので、油で揚げて柔らかくした。天ぷら用饅頭を製造販売している伊那市の和菓子メーカーによれば、販路は中南信が主だが、その出身者が食文化の伝播者になって県下全域に広がっている。

 江戸・明治期の記録でも、油あげ(揚げ物)が盆のご馳走ではつきものになっており、この観念が後の天ぷら饅頭を成立させたと思われる。

天ぷら饅頭は長野県の他に岐阜県飛騨地方や福島県会津地方などで作られるが、会津への分布はのちに会津藩に移った高遠藩主保科正之の影響であるとの伝承もある。(文責:今井啓)


【報告】第4回伊那民俗研究集会(2021.10.9-10)

  10月9日・10日の両日、飯田市竜丘公民館で第4回伊那民俗研究集会が開かれました。県内外から参加者が集まり、1日目は85人、2日目は40人が参加しました。

 初日は3氏が講演。小川所長は、御柱祭とその起源論について概説したうえで、御柱祭と古代宮中祭祀の「大殿祭(おおとのほかひ)」との共通点に注目。

 青木隆幸さんは、「諏訪大明神画詞」を著した諏訪円忠は「吾妻鏡」の編纂者らと関係が深く、彼らは御家人よりも家の歴史が浅い北条得宗被官のため、家の歴史を語る「縁起」や「神話」の必要に迫られていたと指摘しました。

 櫻井弘人会員は、諏訪大社や八剣神社(諏訪市)を除く県内のほとんどの御柱祭は江戸期以降に始まった可能性が高いことを指摘しました。


 2日目は研究発表とパネルディスカッションが行われました。

 今井啓会員は、諏訪神に風神としての性格が認められるのは中世以前の諏訪大社と現在の能登地方の一部のみであること、大風除けの風切鎌と諏訪の薙鎌は性格が異なることを指摘。

 今村理則氏は飯田下伊那のミシャグチ信仰の複雑な実態を報告しました。

 中島正韶会員は飯沼諏訪神社(飯田市)の御柱祭の概要と、同祭と一体化して行われる三社祭(分森社祭、勝山祭、社宮司祭)について紹介しました。

 発表者によるパネルディスカッションでは、小川所長の鋭い問いかけと解説を通じ、複雑な諏訪信仰について理解を深めました。

【報告】2021年9月例会 米山梓会員発表要旨(2021.9.25)

「長野県における厄落とし習俗」

  長野県内の「厄落とし」事例を収集し、主に行われる3つの習俗(神仏参詣、振る舞い、厄放棄)について分布図を作成し分析した。 
 神仏参詣では、参拝先として東・北信地域が北向観音(上田市)、中・南信地域牛伏寺(松本市)が多い。宴や芸能を近親者に振る舞う儀礼は県北部と南信に分布し、とくに上伊那で盛んだった。
 小銭や大根などを投げ捨てる厄放棄は正月や小正月に行われ、長野県南部では茶碗を捨てるのが特徴的である。それを行う場所は、中東信および下伊那は辻、長野市・諏訪・上伊那などは道祖神または小正月の火祭りとなっている。
 長野県の厄落とし習俗は、異なる方法を組み合わせて行っており、確実に厄を払おうとする意識がうかがえる。(文責:今井啓)