最新のお知らせ

2024年5月26日(日)に2024年度の総会と記念講演会および研究発表会を美博講堂で行います。

2018年6月8日金曜日

【報告】2018年度総会と記念講演会、会員発表会を開催

 当研究所の2018年度総会が、5月27日、飯田市美術博物館講堂で開かれました。会員21名が出席し、決算報告・予算案・事業計画案・所長交代人事案など全ての議題が原案通り承認され、部会報告が行われました。

福田所長が退任、小川直之國學院大學教授が4代目所長に


 2012年度から6年間当研究所をご指導くださった福田アジオ所長は、入門講座および入門ゼミナールでの指導、研究所規則の制定、飯田・上飯田民俗調査の指導、伊那民研叢書の発行などにご尽力いただきました。しかし体調などを理由に2017年度をもって退任したいとのご意向を2年ほど前から強く示されていたため、運営委員会では新所長にふさわしい人選を進めてきました。

 第4代所長に就任いただいた小川直之先生は、國學院大學文学部教授および同大の折口博士記念古代研究所長として、折口民俗学の再検討を進めるとともに、アジア各地の民俗との比較研究に取り組んでいます。
 柳田民俗学の「始まりの地」の一つともいえる宮崎県椎葉村を含む九州の神楽保存にも力を注いでおり、同時に飯田下伊那でも新野の雪祭り調査などを長年行っています。2015年度からは「南信州民俗芸能継承推進協議会」のアドバイザーも務めています。

 福田前所長は退任のあいさつで
「研究所のみなさんとの交流は大変刺激になり、毎月大変楽しく飯田へ通わせていただいた。諸般の事情でこの地域に滞在して調査を行うことがほとんどできなかったかわりに、入門講座などを通じて所長の任を果たさせていただいた。一周り若い小川新所長を戴いて新しい研究所の発展を期してほしい」
 と述べました。
退任のあいさつを述べる福田前所長


 小川新所長は
「全国的から見ても、伊那谷を含む天竜川流域はとても質の高い民俗文化が蓄積・継続されている。私がこの地域に入ったのは昭和48年に上村下栗へ入ったのが最初で、過疎化が目に見えて進行する20代前半のことだった。何年間か続けて入らせてもらい、過疎化が目に見える形で始まるのを目の当たりにした。
 所長の任をいただいたのを機に私自身も改めて学びながら前に進みたい。椎葉村の神楽研究所など、他団体との連携もできればいいと考えている」
 と抱負を述べました。

就任のあいさつを述べる小川新所長

新所長の記念講演と若手会員2人の発表


 続く記念講演で、小川所長は「翁ともどき―折口信夫が南信州で考えたこと―」と第して講演。折口が新野の雪祭りや西浦の田楽などを調査研究しながら、「まれびと」「おきな」「もどき」といった独自の概念・理論を生み出していった経緯を解説しました。


 小川所長は「折口の文章は抽象度が高いので、その背後にある具体的な事象を読み手が理解できるかどうかが鍵になる」としたうえで、「現在の能楽研究・歌舞伎研究は、いまだに折口が行った研究の域を出ていない」と指摘。
 「折口の説が正しいかどうかはこれから検証が必要であり、そのためにも三遠南信の芸能研究は欠かすことができず、伊那民研や美博の果たす役割がとても重要」と述べました。

 続いて2名による会員発表が行われました。
 まず、近藤大知会員(國學院大學院生)が「近世奥三河における流通と商人議定」と題して、花祭りを伝えてきた愛知県東栄町の振草郷で天保年間に起こった議定論騒動を分析し、貨幣経済の浸透や商品流通の変化が騒動の原因となったことを指摘しました。
近藤会員

 次に中島悦子会員が「上村下栗の自宅葬」と題して、現在では殆ど見られなくなった自宅葬の様子を、平成19年に下栗で行った調査をもとに報告。会葬者が頭に三角形の白い紙をつける伝統的な葬儀スタイルを抱負な写真で紹介しました。
 また、「シジュク(四十九)の団子」「三角ずし」「五目おにぎり」「ケンチャン」「乾麺のてんぷら」「せんべいの天ぷら」など、独特の儀礼食文化があることも報告しました。

中島会員

 講演会は70人余が聴講し、盛況となりました。 
 夜は市内の料亭「松楽」にて、新旧所長の歓送迎会をかねた懇親会を開催しました。

2018年6月6日水曜日

【報告】「柳田国男青春の地」を探訪しました

 当研究所は2018年4月20日~21日の1泊2日の日程で、柳田国男の「青春の地」などを訪ねる探訪会を実施しました。福田所長を含む6名が参加し、国男が少年時代の約3年間を過ごした茨城県利根川町布川、国男の長兄松岡鼎や両親が骨を埋めた千葉県我孫子市布佐、千葉県立房総のむら(千葉県栄町)、国立歴史民俗博物館(茨城県佐倉市)などを探訪、見学しました。

4月20日


 飯田を午前6時に出発し、中央自動車道、圏央道、東京外環などを経て我孫子市へ。手賀沼に立ち寄って昼食をとったのち、我孫子駅で福田所長と合流し、利根川の左岸にある茨城県利根町に向かいました。

手賀沼。周囲には将門神社など興味深いスポットも多い

利根町役場


町役場前には「民俗学の父柳田國男 第二のふるさと利根町」の看板
まずは役場庁舎に立ち寄り、パンフレットなどを入手。庁舎は周辺ののどかな田園風景とは一線を画す大きなものでした。この庁舎が建てられた平成元年当時は、東京のベッドタウンとして人口が大きく伸びていたとのことです。
大きな町役場庁舎

柳田國男記念公苑(小川家跡)


松岡家の長兄鼎は、故郷の辻川(兵庫県福崎町)の小学校長を辞したのちに医師となり、縁あって布川の小川家の離れに住んで「斉衆医院」を開業。経済的に自立した鼎はまず弟(六男)の国男を呼び寄せ、次いで両親(松岡操、たけ)や静雄(七男)、輝夫(八男)を呼び寄せました。
 国男は13歳からの約3年間をここで過ごします。
 小川家があった場所には1958(昭和33)年~1989(平成元)年まで利根町役場が建てられていましたが、役場が現在地に移転した後の1992(平成4)年に母屋が復元されて「柳田國男記念公苑」になりました。

柳田國男記念公苑
現在は地元住民の集会などに利用されており、見学希望者は無料で入場できます。調理室などもあり、子どもたちが寝具持ち込みで夏合宿などを行っているとのことでした。

土蔵(資料館)と小川家氏神
母屋の裏には、土蔵と氏神が当時の場所に残されています。国男が「利根川図志」などを乱読したこの土蔵は、現在は資料館となっています。
 氏神はかやぶきの家を模した石造の祠で、はめこみ式の蓋がついていました。国男はこの蓋を開けて御神体の丸石を見た途端、見上げた青空にいくつもの星が見えたと述懐しています。
 土蔵には丸石のレプリカが展示されており、実物は利根町生涯学習センターで見学することができます。

氏神御神体の玉(レプリカ)

徳満寺

公苑から徒歩15分ほどの丘の上にある徳満寺は、その地蔵堂で国男が「間引き絵馬」を見て衝撃を受けた寺として有名です。

徳満寺地蔵堂
現在の地蔵堂に絵馬はなく、庫裏を訪ねたところ本堂内に掲げてあるとのこと。快く見学させてくださいました。

本堂内に掲げられた間引き絵馬


間引き絵馬実物(デジタル加工で遠近補正)

複製絵馬
実物の代わりにかつて地蔵堂に掲げられていた複製絵馬も、本堂内に置かれていました。間引かれた嬰児の魂を迎える地蔵や、障子に映った女性の角などがよく分かります。

凌雲堂医院跡(我孫子市布佐)

国男が上京したのち、鼎は利根川対岸の布佐町(現我孫子市布佐)に移住し「凌雲堂医院」を開院。のちに郡会議員や千葉県医師会長、布佐町長などを歴任し、この地に骨を埋めることになります。

鼎が移住した凌雲堂医院跡
現在の松岡家のご当主は成田市で医師をなさっているとのこと。立派な木が茂った庭は、現在も頻繁に手入れがなされているとのことでした。

松岡家墓地

鼎や両親の墓は、布佐の勝蔵院裏の墓地の中にありました。

松岡家の墓に参拝

竹内神社の桜植樹記念碑

竹内神社境内の碑

 墓地から徒歩10分ほどのところにある竹内神社の境内には、鼎らが1905(明治38)年に、日露戦争の旅順陥落を記念して桜500本を植樹したことを記す記念碑が残っています。「IN MEMOEY OF THE CONQUEST OVER THE RUSSIANS」と刻まれ、寄進者7名の中には、松岡鼎に続いて柳田國”雄”や松岡静雄の名もあります。
 名前を誤って刻まれてしまった国男たちの心境、無理に修正を求めなかった理由を想像すると興味深いものがあります。
 境内には数本の桜の木がありましたが、当時植栽されたものでしょうか。

■参考:松岡鼎関連年表

1860年(万延元年)10月、松岡鼎誕生(兵庫県辻川)
1875(明治8)年 松岡国男誕生
1878(明治11)年 鼎、教師になる
1879(明治12)年 鼎、松岡家の家督を相続。小学校校長となる
1881(明治14)年 鼎、上京し東京帝国大学医学部別科に入学
1887(明治20)年 鼎、2月に茨城県布川の小川家にて開業。9月に国男を引き取る
1889(明治22)年 鼎、9月に両親・静雄・輝夫を引き取る
1990(明治23)年 国男が上京し三男井上通泰(泰蔵)の元へ
1893(明治26)年 鼎、一家で利根川対岸の千葉県布佐へ移住。凌雲堂医院を開院
1896(明治29)年 7月に母たけ逝去、9月に父操逝去
1903年(明治36)年 鼎、東葛飾郡郡会議員に選出される
1920(大正9)年 鼎、千葉県医師会第4代会長に就任
1927年(昭和2)年 鼎、布佐町長に就任。1期を務める
1934年(昭和9)年 鼎、1月28日に逝去

4月21日

ビジネス旅館布佐に宿泊し、翌日は千葉県立房総のむらと国立歴史民俗博物館を見学しました。

千葉県立房総のむら

房総のむら」は、江戸時代後期から明治初期までの商家、武家屋敷、農家などを、町並みや景観ごと再現した屋外博物館です。それぞれの建物ではさまざまな体験ができるようになっています。

商家の町並み

農村エリアの入り口に設けられた「綱つり」
農村エリアには千葉県内の3地域(上総、下総、安房)を代表する名主クラスの民家が再現されています。民家の周辺では田畑が実際に耕作されているほか、魔除けの「道切り」や安産祈願の「犬供養」などの信仰物も再現展示されており、興味が尽きません。

木にわら蛇を巻き付けた「辻きり」
安房の農家

国立歴史民俗博物館

続いて、佐倉市にある国立歴史民俗博物館を見学。民俗関連の第4展示室は2013(平成25)年に展示がリニューアルしています。
民俗展示では、冒頭から大量のおせち料理サンプルに迎えられて一同びっくり。妖怪、東日本大震災の被災民家復元など、現代的なテーマや一般客が興味を持ちやすいテーマを大きく扱っている点が興味深く感じられました。

近江西物部集落模型

 名誉教授である福田所長によると、リニューアル前の展示物でも、貴重なレプリカやジオラマは残して利用しているとのこと。その一例として、福田所長が現職時代に担当した近江西物部集落模型(上写真)は、以前は村落空間を解説するためだったものを、新展示では稲作暦というテーマの中で活用しているそうです。

 1日目は柳田国男および松岡家ゆかりの地をディープに探訪し、2日目は県と国が力を注いだ最新かつ意欲的な博物館展示を福田所長直々の解説で見学できました。とても贅沢かつ有意義な探訪会となりました。
(文責:今井)