最新のお知らせ

2024年5月26日(日)に2024年度の総会と記念講演会および研究発表会を美博講堂で行います。

2020年8月23日日曜日

【報告】8月特別例会〈折口講座〉第4回「霊魂の話を読む」

 8月22日(土)、小川所長による特別例会〈折口講座〉第4回「霊魂の話を読む」がオンライン講義の形で行われました。 会場の柳田館には9名が出席しました。

 折口はこの著作のなかで、「たま」の働き(力量・才能)が「たましい」であり、外来語の「神」が流入したことを受けて「たま」の善なる要素が「かみ」、邪悪な要素が「もの」に分化したと論じています。
 また、「たま」の働きが「たましい」であり、「かひ(卵・殻)」に「たま(外来魂)」が入り込むことが「なる」、その外来魂がかひから姿を現すのが「ある」だと主張しました。
 
 小川所長は、折口の文化研究は語源論を手掛かりにしながら、文化が形成される原理を求めようとする点に大きなポイントがある、と解説しました。(文責今井啓)

 

2020年8月16日日曜日

記念総会等の予定変更のお知らせ

 近頃の新型コロナ感染再燃を受け、9月5日(土)・6日(日)に予定していた本研究所の創立30周年記念行事の内容を大幅に変更いたします。

 初日に予定していた集会形式の総会ならびに研究発表会を中止し、二日目の講演のみを実施することになりました。会員の皆様は送付される総会資料をご覧いただき、書面にて審議・承認をいただきたく存じます。ご意見・ご質問等ございましたら、8月21日までに事務局へお申し出下さい。

 また、8月22日(土)の「折口講座」は柳田國男館と小川所長をオンラインでつなぐ形式とし、11月28・29日に計画していた第4回伊那民俗研究集会についても延期することになりました。

 講座・講演会の詳細はこちらをご覧ください。



【報告】2020年7月例会

2020年7月25日に柳田館で開かれた例会には12人が参加しました。 

 発表要旨

 今井啓会員「おまん様の誕生―下伊那最古の疫神送り―」  

 天龍村向方には、「おまん様」もしくは「関の方(せきのかた)」と呼ばれる人形を村境まで送り出す疫神送り行事があった。伝説によればおまん様は滅ぼされた豪族関氏の奥方で、幼い息子長五郎を連れて和知野城から落ち延びる途中、息子とともに大河内で殺されたという。
 『熊谷家伝記』にも、「お万どの」母子の祟りを鎮めるために関氏滅亡の翌年(1555)から「二月の神送り」を始めたと記されており、これが飯田下伊那における事八日の神送りの最古の記録とされている。
  しかし愛知県新城市や犬山市には「オカタ送り」「セキノカタ送り」などと呼ばれる類似の行事がある。また大鹿村や静岡県磐田市には「咳気」すなわち風邪の神を送る「ゲーキの神送り」「ガキ送り」がある。
  よって、天龍村の「セキノカタ」も本来は「咳のカタ(形代)」の意味であり、家伝記の記述を史実として受け止めることはできない。むしろ神送りが伝説よりも先にあり、文字記録と口頭伝承が相互に影響し合って「咳の形」→「関の方」→「関のお万」として伝説化されていったのではないだろうか。
 ムラからムラへと追いやられ、最後は国境で殺される母子の姿は、神送りの人形そのままである。

岡田正彦会員「飯沼の歴史―原始から中世へ―」(調査部会報告)

 飯田市上郷飯沼一帯は古くからの沼沢地であり、丹保地区はソブ(赤い水)が湧くムラである。丹保遺跡からは弥生時代後期の住居址や方形周溝墓が見つかっており、近くの別府地区などには多くの古墳が分布して飯田下伊那の馬匹文化の中心の一つだった。
 飯沼に隣接する飯田市座光寺には伊那郡衙があったが、丹保の堂垣外遺跡からも墨書土器が出土しており、関係が想像される。
 飯沼郷の名が初見されるのは鎌倉時代の守矢文書で、戦国時代には知久氏が飯沼郷を支配していたことが同文書からうかがえる。
 飯沼城は武田信玄によって落城したのち、神社が建立されて現在に至っている。中世の飯沼郷は飯沼・南条・黒田を含み、諏訪神社の祭りも郷を挙げて行っていた。こうした歴史をふまえ、近年は飯沼諏訪神社の御柱祭を上郷地区全体でやれないだろうかという声も上がっている。
 飯沼の民俗調査報告書では、こうした歴史をいかに民俗と結びつけながら記述するかが課題だと感じている。