最新のお知らせ

2024年3月23日(土)15:00から柳田館で通常例会「おさま甚句はどこからはよた♪三州振草下田の盆踊り」(宮下英治会員)を行います。

2020年10月27日火曜日

【報告】10月通常例会(9名参加)発表要旨

 宮下英美会員「豊穣祈願の予祝行事」

予祝行事とは農作物などの豊穣を願うために一年間の農作業や秋の豊作を模擬実演するもので、小正月のマユダマ・モチバナなどが代表的である。長野県内では小正月にマユダマなどを作る行事をモノツクリと呼ぶところが多い。また田植え開始時の「サビラキ」で、葉を折ったススキを神棚に供えて稲穂の実りになぞらえるのも予祝とみていいだろう。これらには具体的で生活に密着した願いが込められている。

近藤大知会員「神道日記にみる伊東家」

天竜川流域に分布する神楽やオコナイは、集落内の特権的な階級が担い手になっている事例が多い。阿南町新野の雪祭りでは明治5年まで、社家と呼ばれる伊東家が祭祀組織の頂点にあった。それを補佐する内輪衆(現在の禰宜や氏子総代に相当)は12軒もしくは8軒あり、いずれも伊東姓を名乗っていた。

内輪衆の一人であった伊東数衛(明治25年に48歳で没)が記した「神道日記」(慶応3年~明治22年)には、年間を通じて多くの祭祀儀礼があったことが記されている。このうち、慣例で行うものは①伊東家の祭り(「御佐山」など)②新野内での共同体の祭り(「山神」「渡神」など)③周辺地域の共同体の行事④個人家での行事(御日待)―の4つに分けられる。

雪祭りに関しては「伊東氏神事」と記されており、伊東家の行事としての性格を持っていたことがうかがえる。

一方、臨時で行うものには「風(風邪)」「疱瘡」「馬(馬風)」などがあり、疫病の流行やそれに対する呪術的対応の状況がうかがえる。

まだ読み込みが不足しているが、在地の宗教者の年間活動がうかがえる貴重な資料である。

(文責:今井)




2020年10月11日日曜日

【報告】9月通常例会(9名参加)発表要旨

北原いずみ会員「清内路の墓制・葬制」

 阿智村清内路には近隣に見られない墓制を持ち、上清内路と下清内路ではっきりとした差異がある。上清内路は浄土真宗の影響が強く、骨垣外(コツガイト)地籍にある清南寺の境内に集落唯一の共同納骨墓があり、「一山一墓」として知られる。

 下清内路は集落共同の納骨堂と同族を単位とした一統墓(イットウバカ)があり、骨の大部分は納骨堂に納めるが、年忌や盆に参拝するのは一統墓である。

上清内路、下清内路ともに、共同納骨堂ができたのは作られたのは明治時代の法整備を受けてのもので、それ以前は河原に設けた火葬場に遺骨も放置していた。上清内路はそれまで無墓村だった。

 上清内路では葬儀終了後の酒席「ゴクロウブルマイ」のときに火葬の灰が盃に入って酒に脂が浮いたという。

 上下ともに、遺骨は薬になるとされ、仏壇の引き出しにしまっておいて厄介な病気の時に煎じて飲んだ。下清内路では共同納骨堂の骨が度々盗まれ、飯田方面で熱冷ましとして売られたという。


中島正韶会員「上郷飯沼郷地名考 湛え「神ノ木」ミシャグジを探る」

 飯田市上郷飯沼には、御柱祭が行われる飯沼諏訪神社があり、飯沼郷の地名の初出も1397年に諏訪大社の頭役を務めた記録(守矢文書)であるなど、諏訪信仰が色濃い。上郷上黒田の社宮司社や飯沼北条の分森社(田薗神社境内)はシャグジ神で、飯沼神社の御柱祭では「三社祭」など重要な位置を占めている。

 諏訪信仰と関わりが深いミシャグジ信仰を調査した今井野菊は、上郷地区のシャグジ神を4柱(うち飯沼3柱)報告している。その中でも飯沼の「湛え神の木」と呼ばれるという地主神が注目される。

 先人の小字調査によると「神の木」という小字は飯沼丹保にあり、そこにはエノキとマキの大木があり樹下に祠があったという。分森社もかつては「キノモト(木の元)」と呼ばれる場所にあった。飯沼のこうした地名を探ることは、ミシャグジ研究の大きな手がかりになると思われる。

当日の映像はこちら→https://youtu.be/TitaWlR7IXc

中島会員の当日配布資料はこちら→https://drive.google.com/file/d/1jSgnREEwlv3Bk-DGEU4onyN-80abv1m8/view?usp=sharing