10月9日・10日の両日、飯田市竜丘公民館で第4回伊那民俗研究集会が開かれました。県内外から参加者が集まり、1日目は85人、2日目は40人が参加しました。
初日は3氏が講演。小川所長は、御柱祭とその起源論について概説したうえで、御柱祭と古代宮中祭祀の「大殿祭(おおとのほかひ)」との共通点に注目。
青木隆幸さんは、「諏訪大明神画詞」を著した諏訪円忠は「吾妻鏡」の編纂者らと関係が深く、彼らは御家人よりも家の歴史が浅い北条得宗被官のため、家の歴史を語る「縁起」や「神話」の必要に迫られていたと指摘しました。
櫻井弘人会員は、諏訪大社や八剣神社(諏訪市)を除く県内のほとんどの御柱祭は江戸期以降に始まった可能性が高いことを指摘しました。
2日目は研究発表とパネルディスカッションが行われました。
今井啓会員は、諏訪神に風神としての性格が認められるのは中世以前の諏訪大社と現在の能登地方の一部のみであること、大風除けの風切鎌と諏訪の薙鎌は性格が異なることを指摘。
今村理則氏は飯田下伊那のミシャグチ信仰の複雑な実態を報告しました。
中島正韶会員は飯沼諏訪神社(飯田市)の御柱祭の概要と、同祭と一体化して行われる三社祭(分森社祭、勝山祭、社宮司祭)について紹介しました。
発表者によるパネルディスカッションでは、小川所長の鋭い問いかけと解説を通じ、複雑な諏訪信仰について理解を深めました。