最新のお知らせ

2025/1/18(土)15:00より柳田館で例会を開催します。櫻井弘人会員「新野の雪祭と春日のおん祭」(※開始時間を修正しました)

2017年6月24日土曜日

柳田国男の生誕地を訪ねる【福崎町への旅】巡検報告

2017年4月23~24日の1泊2日で、兵庫県福崎町を巡検する探訪会を開催しました。福田アジオ所長を含む7人で、 さまざまな国男ゆかりの地を訪ねました。

1日目(4/23)記念館・生家・鈴ノ森神社など


JR播但線福崎駅には町のマスコット「フクちゃん」「サキちゃん」
福崎町は柳田国男とモチムギを地域資源としてPRに力を入れています。
柳田国男の回顧録『故郷七十年』にガタロ(河太郎=河童)の伝承が登場することから、河童が町のマスコットとなっています。
ガジロウと将棋を指せるベンチも(JR福崎駅前)
近年は、役場職員がデザインしたリアルな河童のキャラクター「ガジロウ」が話題を集めています。
赤い肌は地元の伝承ではなく、「遠野物語」に登場する河童に着想を得たものとのこと。
「民俗学柳田國男生誕の地」の字が掲げられた福崎町役場

国男の生家が保存されている付近の公園(辻川山公園)は、造形を公募した妖怪のブロンズ像などが林立して観光地となっています。隣接の観光施設「もちむぎの館」で飲食やショッピングなどができます。
公園と辻川の町並を高台から見下ろす

ガジロウが出現する池にはいつも人だかり
池のほとりの看板には、「駒ヶ岩で子どもたちの尻子玉を抜いていたガタロウ・ガジロウ兄弟が、柳田國男先生に謝ろうと生家のある辻川山公園までやってきて、ガタロウは皿の水が乾いて固まってしまったが、ガジロウは池の中にいたので今も顔を出す」というフィクションのストーリーが紹介されていました。

妖怪小屋から逆さ吊りで登場する天狗
天狗のオブジェもあちこちに配置され観光客の人気を博していました。天狗は地元の伝承に基づいたものではないとのことで、彼らはモチムギどらやきを持っていたり、スーツを着てなにやらパソコンでネット検索をしたりと、ユーモアを前面に押し出しています。

辻川山の山腹には、柳田國男・松岡家記念館、神崎郡歴史民俗資料館(旧神崎郡役所・移築)、柳田国男生家(移築)、鈴ノ森神社などが集まっています。辻川山は「民俗の森」と名付けられ、優秀だった松岡家五兄弟にあやかる散策路「学問成就の道」が整備されています。

記念館および資料館では、福崎町教育委員会の担当の方から解説をしていただきました。


柳田國男・松岡家記念館
記念館は、生前の柳田国男の映像(NHKのテレビ番組)や、柳田が喜談書屋で使用していた書斎机、兄弟たちの業績展示などが見どころでした。職員さんのお話によると、ガジロウの登場によって、記念館の入館者数も飛躍的に増加したとのこと。
神崎郡歴史民俗資料館で学芸員の説明を受ける
かつては辻川の中心部にあった郡役所。白亜の擬洋風建築で、群役所の建物や資料が現存するのは全国的に見ても貴重とのこと。

柳田国男の生家


生家内部
国男の生家も辻川中心部付近にあったものを移築。幼き日の国男やその家族がどのように生活していたのかに思いを馳せながら見学しました。
鈴ノ森神社の参道門柱は長兄松岡鼎(右)と国男(左)が寄進

松岡兄弟らが床下で子犬を飼っていたという地蔵堂

国男たちが遊び場にしていた鈴ノ森神社や地蔵堂を見学。
カッパ伝説が残る駒ヶ岩
辻川の中心部から西方徒歩10分ほどのところを流れる市川には、駒ヶ岩と呼ばれる大きな岩があり、ここにガタロが棲むという言い伝えを柳田が『故郷70年』で触れていることから、近年の「河童で町おこし」につながっているようです。
宿泊先の文殊荘で、地元のお年寄りからも「あそこではよく泳いで遊んだ。ここの淵は深かった」というお話が聞けました。
国男の祖母、松岡小鶴の墓(中央・悟真院)
宿泊先である「文殊荘」近くの墓地で、国男に大きな影響を与えた祖母小鶴の墓を見学しました。

2日目(4/24)サンマイ、三木家、生家跡など


辻川集落の外れに残るサンマイ(埋め墓)
埋め墓と参り墓を別にする両墓制は西日本では一般的な方式で、民俗学における重要なテーマの一つです。福田所長の案内で、辻川の外れのサンマイ(埋め墓)を訪れました。
現在は墓石が多く立っていますが、ところどころに埋葬地の面影を見ることができ、現在の様子を地元の方からうかがうこともできました。
サンマイから旧街道を歩いて辻川の中心地へ
サンマイから15分ほど歩くと辻川の中心地に入ります。途中には国男生家とよく似た昔ながらの住宅も見られました。
松岡家の詣り墓があった円乗寺
旧郷社熊野神社の隣の円乗寺は、現在は無住。かつて松岡家の詣り墓があった寺です。現在は裏庭に墓地整理の名残りとして墓石が密集しています。
修復が終わり4月から一般公開が始まったばかりの三木家
松岡家は貧しかったとはいえ、国男の父や祖母は地元の知識人であり、長兄鼎は小学校の若き校長という名士。松岡家は大庄屋である三木家とも親交があり、幼い国男はこの家に預けられて乱読の日々を送り、その経験がのちの民俗学につながりました。
この日は月曜日で本来は休館であるところ、教育委員会のご配慮で開けていただき、担当の方から詳しい解説をいただきました。
東三木家の塀にはカッパのイラスト
旧街道「銀の馬車道」を100メートルほど東に進むと、旧家の一つ「東三木家」に着きます。現在は「コミュニティカフェ 河童のさんぽ道」に改装されていました。
カフェに改装された東三木家
遅めのモーニングをいただいた後、三木家住宅の前を通って国男の生家があった場所へ。標柱だけが残っていました。
その後、有志が姫路城を見学して巡検は終了しました。

国男の生家跡地に立つ標柱
今回は、時代も風景も大きく異なるとはいえ、柳田国男が幼少期を過ごした土地を実際に肌で感じることができ、貴重な機会となりました。
とくに、地元自治体が柳田国男を観光資源として利用するにあたり、彼の膨大な業績の中から駒ヶ岩の「ガタロ」伝承を集中的にクローズアップして「妖怪テーマパーク」を現出させようとしている姿は、とても興味深いものでした。
飯田市と協力して柳田国男の旧書斎「喜談書屋」の運営に関わっている当研究所としても、柳田および民俗学の学問的成果をどのように一般の皆さんに分かりやすく、楽しく伝えていくべきかを考えさせられた旅でした。 (文責:今井啓)