最新のお知らせ

2024年5月26日(日)に2024年度の総会と記念講演会および研究発表会を美博講堂で行います。

2019年6月10日月曜日

【報告】2019年度総会研究発表

2019年度総会の研究発表では、2名の会員が研究発表を行いました。

片桐みどり会員「子供の行事 天神様」

【要旨】
天神様の祭りは、飯田・上飯田ではほとんど誰も知らないが、周辺部では2月25日を中心に多くの地域で行われていた。私の住む飯田市松尾久井では、PTAの行事として現在も1月に行っている。子どもたちが天神様にお参りした後、賽銭箱を持って地区内を回る。寒くて大変だろうと思うが、「歌を歌って面白かった」「お賽銭をもらえてうれしかった」と肯定的な感想が聞かれた。
片桐会員


 こうした行事は戦前は高等科の生徒たちを中心に行われていたが、戦争前後に多くが途絶えた。残った地区でも、新学制により中学生が参加しなくなると、大人たちが計画実行を担うようになった。

今井啓会員「柴刈りと洗濯の民俗」

【要旨】
 飯田下伊那のシバカリは、肥料として水田に敷き込むカリシキ(刈敷)が重要だった。カリシキと同じ意味でタタカリ(叩刈)という語もあるが、県内では下伊那が中心であり、県外では飛騨地方や岩国地方など分布が限られているとみられ興味深い。カリシキにはクヌギの若葉がよいとされ、高森町には毎年枝を刈られた「カリシキの木」が現存する。

高森町牛牧の「カリシキの木」(クヌギ)

 一方、飯田下伊那に洗濯機が普及したのは昭和30年代からで、それ以前の貧しい時代は洗剤替わりに豆腐の搾り汁を使ったり、疎開家庭が使った後の石鹸水をもらったりと、さまざまな苦労があった。洗濯は家事の中で優先順位が低く、嫁は自由に洗濯することもできなかったと向山雅重が書いている。
 山のシバも洗濯の汚水も、最後は田畑の肥料となった。坪井洋文はカリシキに山の霊力を移入する信仰的意味を見出そうとしたが、だとすれば田畑は聖なるものも穢れたものも区別なく受け入れて豊穣に変える場所だったといえる。

(文責:今井啓)