下條村・大山田神社の祭礼―獅子舞・湯立神楽・歌舞伎・人形芝居―
2021年12月18日に行われた例会には10名が参加しました。
櫻井会員は、長野県下伊那郡下條村の大山田神社に奉納された祭礼絵馬を手がかりに、下條村は中世的な湯立神楽から近世的な獅子舞・歌舞伎・人形浄瑠璃など、三遠南信地域に特徴的な民俗芸能の一大拠点だったことを紹介しました。
発表内容は郷土誌『伊那』(伊那史学会)2022年1・2月号にも掲載されます。
2021年12月18日に行われた例会には10名が参加しました。
櫻井会員は、長野県下伊那郡下條村の大山田神社に奉納された祭礼絵馬を手がかりに、下條村は中世的な湯立神楽から近世的な獅子舞・歌舞伎・人形浄瑠璃など、三遠南信地域に特徴的な民俗芸能の一大拠点だったことを紹介しました。
発表内容は郷土誌『伊那』(伊那史学会)2022年1・2月号にも掲載されます。
10月9日・10日の両日、飯田市竜丘公民館で第4回伊那民俗研究集会が開かれました。県内外から参加者が集まり、1日目は85人、2日目は40人が参加しました。
初日は3氏が講演。小川所長は、御柱祭とその起源論について概説したうえで、御柱祭と古代宮中祭祀の「大殿祭(おおとのほかひ)」との共通点に注目。
青木隆幸さんは、「諏訪大明神画詞」を著した諏訪円忠は「吾妻鏡」の編纂者らと関係が深く、彼らは御家人よりも家の歴史が浅い北条得宗被官のため、家の歴史を語る「縁起」や「神話」の必要に迫られていたと指摘しました。
櫻井弘人会員は、諏訪大社や八剣神社(諏訪市)を除く県内のほとんどの御柱祭は江戸期以降に始まった可能性が高いことを指摘しました。
2日目は研究発表とパネルディスカッションが行われました。
今井啓会員は、諏訪神に風神としての性格が認められるのは中世以前の諏訪大社と現在の能登地方の一部のみであること、大風除けの風切鎌と諏訪の薙鎌は性格が異なることを指摘。
今村理則氏は飯田下伊那のミシャグチ信仰の複雑な実態を報告しました。
中島正韶会員は飯沼諏訪神社(飯田市)の御柱祭の概要と、同祭と一体化して行われる三社祭(分森社祭、勝山祭、社宮司祭)について紹介しました。
発表者によるパネルディスカッションでは、小川所長の鋭い問いかけと解説を通じ、複雑な諏訪信仰について理解を深めました。
【開催日を8月→10月に変更しました】
2021年10月9日(土)、10日(日)の2日間にわたり、飯田市竜丘公民館で第4回伊那民俗研究集会を開催します。2年ぶりの開催となる今回は「御柱祭と諏訪信仰」をテーマに、地元の会員や研究者が講演や研究発表、パネルディスカッションを行います。
●主な内容:
10月9日(土)13:30~16:30
小川直之所長・青木隆幸氏・櫻井弘人会員の講演/映像上演「野池神社の式年御柱祭」
10月10日(日) 9:30~12:05
今井啓会員・今村理則氏・中島正韶会員の研究発表/講師および発表者によるパネルディスカッション
●会場:飯田市竜丘公民館(飯田市桐林505)
●参加費:無料/申し込み不要
詳しくは講座・講演会のページを御覧ください。
2021年5月16日、 2021年度総会と講演会・研究発表を開催しました。
昨年度は書面での議案承認となりましたが、今回は飯田市美術博物館講堂で開催し、14名が出席しました。
2021年度事業では、「諏訪信仰」をテーマとした第4回伊那民研集会を8月28日(土)・29日(日)にエス・バード(飯田市座光寺)で開催することや、2022年に予定されている日本山岳修験学会飯田大会に向けて実行委員会を設置することなどが承認されました。
また、前年度の寄付金で購入した物品の貸し出し規約を定めること、研究所に200万円の寄付をしてくださった会員を名誉会員に推挙することなどもあわせて承認されました。
2021年度総会資料の閲覧・ダウンロードは→こちら
幻となった昨年の30周年記念大会で研究発表を予定していた小田富英氏が「柳田学と後藤民俗思想史をつなぐ-『信州随筆』と『遠山物語』を中心に-」と題して講演。
コロナ対策のため聴講者は50人限定かつZoomを使用してのオンライン講演となりましたが、キャンセル待ちも出るなど盛況となりました。
飯田で出版された柳田國男の『信州随筆』には、柳田の様々な予想・仮説が盛り込まれている。柳田はこの本で、決まった結論を学ぶ「答えの学問」ではなく、予想・仮説を立ててそれを実証する「問いの学問」への転換を長野県の人々に訴えた。
一方、遠山(飯田市)出身の後藤総一郎(明治大学教授・伊那民研初代所長)は、画期的な自治体史『南信濃村史 遠山』や名著『遠山物語』、そして住民が身銭を切って学ぶ「常民大学」などを通じ、柳田の理念を実践しようとした。
柳田も後藤も、学問は「運動」であると考えていたと言っていい。(文責:今井啓)
会場で配布されたレジュメは以下よりダウンロードできます。
→こちら
講演会の終了後、会場を柳田館に移して開催。15人が参加しました。
湯澤直人会員は「飯田下伊那における無尽」と題し、親睦や異業種交流を目的に行われている現代の「無尽」について、無尽金のやりとりの仕組みなども含めて詳しく報告しました。
松上清志会員は「唯一の地方出版『信州随筆』を読む」と題し、柳田国男研究会で進めている『信州随筆』読み込みの成果を発表しました。
2021年度総会・記念講演・会員研究発表を以下の日程で開催します。いずれもYouTubeでライブ配信する予定です。記念講演会は参加申し込みが必要です。
期日:2020年5月16日(日)
12:30~ 総会(会場:飯田市美術博物館講堂)
13:30~ 記念講演(会場:同上、美博共催)
演題:「柳田学と後藤民俗思想史をつなぐ-『信州随筆』と『遠山物語』を中心に-」
講師:小田富英氏(『柳田國男全集』編集委員・日本地名研究所『地名と風土』編集長)
※講演はオンラインで実施します
15:00~16:50 研究発表(会場:柳田國男館、申し込み不要)
「飯田下伊那における無尽」湯沢直人
「唯一の地方出版『信州随筆』を読む」松上清志
3月に発刊した伊那民研叢書6『写真から見る伊那谷の近代と地域民俗』の執筆陣(会員)が発表と討論を行いました。
序章を担当した小川所長は、今回の叢書6について、市村咸人ら先人が残した伊那谷の近代写真を一同に理解し、画像資料で行う地域研究の出発点になると述べました。
討論会では、「なぜ熊谷元一は写真を撮ったのか」「記念写真の持つ意味とはなにか」「今後の写真活用に必要なものはなにか」といった小川所長の問いかけに対し、各発表者がそれぞれの見解を述べました。発表者からは、聞き取りによって写真情報を補完することの必要性、それらを整理しデータベース化して広く利用可能にすることの重要性を強調する声が多く出されました。
小川所長は、記念写真は家や個人の「歴史」を文字に頼らずに刻む手段であり、デジカメやスマホの普及はその意味でも画期的なことであるとし、何気なく撮った写真が50年後、100年後に重要な意味を持ってくると指摘しました。
2021年3月27日に行われた例会には7名が参加しました。
宮下会員は地元である飯田市毛賀に「弘法さま」(大師堂)が建立された歴史を紹介。個人的信仰がコミュニティに受け入れられていった過程を詳しく解説しました。
近藤会員は、飯田市上郷飯沼の「おんべ」行事について、先行研究と聞き取りの成果をまとめました。かつては子どもたちが小屋掛けをして、近隣集落の子どもたちのいたずらからおんべを守ったこと、今年はコロナ禍の中で工夫をしながら行事が行われたことを報告しました。
2019年に開催した第3回伊那民俗研究集会の成果をまとめた叢書6を刊行しました。市村咸人・吉澤公男・熊谷元一・向山雅重・塚原琢哉の各氏が残した写真をふんだんに掲載し、研究所内外の執筆陣が解説したものです。A5判126頁、頒価は1000円。飯田市美術博物館および柳田館、平安堂(飯田店・座光寺店・伊那店)などで販売しています。
■目次
序 章 伊那谷の近代写真と画像アーカイブの可能性
第一章 伊那谷を写した先人たち
一 市村咸人 ―下伊那郷土史の開拓者―
コラム 中馬をめぐる二つの記録 ―市村咸人の撮影写真と澁澤敬三の撮影映像―
二 吉澤公男 ―写真館主が残した山村の姿―
三 熊谷元一 ―生涯続けた農村記録―
四 向山雅重 ―地を這う調査で民俗を探究
五 塚原琢哉 ―下栗が写真家としての原点―
第二章 写真から地域民俗を読み解く
一 台所写真に見る生活様式の変化
二 写真が語る下伊那の養蚕
三 世相を映す婚礼衣装
四 下栗の塚原写真と民俗
コラム 塚原写真と下栗の地域づくり
2021年2月27日に行われた例会には11名が参加しました。
松尾小学校は1906(明治39)年から1918(大正7)年まで「級長会議」と呼ばれる児童議会を行っていた。6つの学年(学級)から男女別に正副の級長が出席し、校章の着用ルールや校内郵便の実施、成績表の付け方まで議論した。児童全体では女子の数が圧倒的に少ないため、結果的に教育的利点が女子に多く与えられることになった。
当時は女性の参政権どころか普通選挙すらない時代である。会議の席順からは男女を区別し男子を優先する無意識の考え方があるように感じられるが、女子も堂々と発言しているさまが写真からもうかがえる。彼女たちには貴重な体験になったことだろう。
昨年3月に飯沼区の郷倉に保管されている区有文書の調査を行った。飯沼の庄屋が触れ元になった「野底山ノ口明け通知状」、明治初期の「飯沼区各戸図」などが興味深い。制作年代不明の「飯沼段丘崖墓地分布図」は、飯沼諏訪神社以南の段丘斜面に作られた各家の墓の位置を示しており、上段と下段をつなぐ複数の道も細かく描かれている。こうした墓地図がなぜ作られたのか、その背景に興味がそそられる。
2021年1月16日に行われた小川所長の折口講座「「田遊び祭りの概念」を読む」は、新型コロナ感染拡大によりZoom会議形式で実施し、事前に申し込んだ会員8名がリアルタイムで聴講しました。
この論文は1929年(昭和4)に『民俗芸術』で発表された。折口の田楽研究ではごく初期のものながら、田楽に関連する歴史的・文献的な部分はすでに押さえている。一方で、田遊びと囃子田の区別がついていないなど、粗削りな面も否めない。
折口は「田楽には念仏の要素が多分にある」と指摘している。その根拠をここでははっきりと示していないが、田舞や田楽に多く登場する花笠などは念仏系芸能にも多く、これをどう解釈するかが一つのポイントといえる。
折口の田楽理解には新野の雪祭りや西浦の田楽が深く影響している。折口の文章の背景には必ず文献や民俗採訪で得た知識があるので、彼の年譜や行動をたどりながら見ていく必要がある。