(2020年12月19日、柳田國男館、7名参加)
松上清志会員「民俗報告書にみる下伊那の養蚕」
寺田一雄会員「上殿岡の民俗―居住地区で民俗の変容を考える―」
長年にわたって郷土史や民俗の研究調査をしてきたが、一緒にやってきた仲間たちも高齢化している。かつてのような調査活動はできなくなっている今、自らの家庭・地域を見直しながら、一住民として人生を全うすることを考えたい。
(2020年12月19日、柳田國男館、7名参加)
2020年12月8日の信濃毎日新聞朝刊で、設立30周年を迎えた当研究所が取り上げられました。
松上事務局長と小川所長に取材してこれまでの歩みをまとめ、メンバーの高齢化など課題を抱えつつも、持続可能な地域社会の実現に向けて貢献していこうとする姿勢を紹介してくれています。
30周年記念事業の計画変更を余儀なくされた本年ですが、多くの方に研究所の存在と活動を知っていただく機会になれば、大きな励みとなります。今後とも研究所の活動に皆様のご協力をお願いいたします。
予祝行事とは農作物などの豊穣を願うために一年間の農作業や秋の豊作を模擬実演するもので、小正月のマユダマ・モチバナなどが代表的である。長野県内では小正月にマユダマなどを作る行事をモノツクリと呼ぶところが多い。また田植え開始時の「サビラキ」で、葉を折ったススキを神棚に供えて稲穂の実りになぞらえるのも予祝とみていいだろう。これらには具体的で生活に密着した願いが込められている。
天竜川流域に分布する神楽やオコナイは、集落内の特権的な階級が担い手になっている事例が多い。阿南町新野の雪祭りでは明治5年まで、社家と呼ばれる伊東家が祭祀組織の頂点にあった。それを補佐する内輪衆(現在の禰宜や氏子総代に相当)は12軒もしくは8軒あり、いずれも伊東姓を名乗っていた。
内輪衆の一人であった伊東数衛(明治25年に48歳で没)が記した「神道日記」(慶応3年~明治22年)には、年間を通じて多くの祭祀儀礼があったことが記されている。このうち、慣例で行うものは①伊東家の祭り(「御佐山」など)②新野内での共同体の祭り(「山神」「渡神」など)③周辺地域の共同体の行事④個人家での行事(御日待)―の4つに分けられる。
雪祭りに関しては「伊東氏神事」と記されており、伊東家の行事としての性格を持っていたことがうかがえる。
一方、臨時で行うものには「風(風邪)」「疱瘡」「馬(馬風)」などがあり、疫病の流行やそれに対する呪術的対応の状況がうかがえる。
まだ読み込みが不足しているが、在地の宗教者の年間活動がうかがえる貴重な資料である。
(文責:今井)
阿智村清内路には近隣に見られない墓制を持ち、上清内路と下清内路ではっきりとした差異がある。上清内路は浄土真宗の影響が強く、骨垣外(コツガイト)地籍にある清南寺の境内に集落唯一の共同納骨墓があり、「一山一墓」として知られる。
下清内路は集落共同の納骨堂と同族を単位とした一統墓(イットウバカ)があり、骨の大部分は納骨堂に納めるが、年忌や盆に参拝するのは一統墓である。
上清内路、下清内路ともに、共同納骨堂ができたのは作られたのは明治時代の法整備を受けてのもので、それ以前は河原に設けた火葬場に遺骨も放置していた。上清内路はそれまで無墓村だった。
上清内路では葬儀終了後の酒席「ゴクロウブルマイ」のときに火葬の灰が盃に入って酒に脂が浮いたという。
上下ともに、遺骨は薬になるとされ、仏壇の引き出しにしまっておいて厄介な病気の時に煎じて飲んだ。下清内路では共同納骨堂の骨が度々盗まれ、飯田方面で熱冷ましとして売られたという。
飯田市上郷飯沼には、御柱祭が行われる飯沼諏訪神社があり、飯沼郷の地名の初出も1397年に諏訪大社の頭役を務めた記録(守矢文書)であるなど、諏訪信仰が色濃い。上郷上黒田の社宮司社や飯沼北条の分森社(田薗神社境内)はシャグジ神で、飯沼神社の御柱祭では「三社祭」など重要な位置を占めている。
諏訪信仰と関わりが深いミシャグジ信仰を調査した今井野菊は、上郷地区のシャグジ神を4柱(うち飯沼3柱)報告している。その中でも飯沼の「湛え神の木」と呼ばれるという地主神が注目される。
先人の小字調査によると「神の木」という小字は飯沼丹保にあり、そこにはエノキとマキの大木があり樹下に祠があったという。分森社もかつては「キノモト(木の元)」と呼ばれる場所にあった。飯沼のこうした地名を探ることは、ミシャグジ研究の大きな手がかりになると思われる。
当日の映像はこちら→https://youtu.be/TitaWlR7IXc
中島会員の当日配布資料はこちら→https://drive.google.com/file/d/1jSgnREEwlv3Bk-DGEU4onyN-80abv1m8/view?usp=sharing
9月6日、飯田市美術博物館と本研究所の共催で美博文化講座「天龍川水系・伊那谷の民俗を考える」を開催しました。当初創立30周年記念事業として計画していた内容の一部を、規模を縮小する形で実施。新型コロナ感染防止対策のために、定員を最大30名に限定しましたが、午前、午後ともに20名を超える参加がありました。
午前の部は、9月末で美博の専門研究員を退職する櫻井弘人会員が「天龍川流域の民俗芸能」と題して講演。中世から近世にかけて南信州の芸能が神事芸能から娯楽芸能に変化していったこと、その転換点は経済力を背景にした町人文化が発達した元禄年間だった可能性が高いことなどを指摘しました。
初の試みとして、講演をYouTubeでライブ配信し、編集した動画を翌日再配信しました。
午後の部は小川直之所長が「伊那谷の民俗をどう捉えるか」と題してオンラインで講演を行いました。報告書や紀要など研究所の活動成果に基づく民俗事例を検証しながら、この地域が東西文化の混合・複合地域であることを示しました。
オンライン化のための機材購入費は寄付によってまかないました。ご協力くださった皆様に御礼を申し上げます。
今後も通常例会のライブ配信など、積極的なWeb活用に取り組んでいく計画です(文責今井)。
近頃の新型コロナ感染再燃を受け、9月5日(土)・6日(日)に予定していた本研究所の創立30周年記念行事の内容を大幅に変更いたします。
初日に予定していた集会形式の総会ならびに研究発表会を中止し、二日目の講演のみを実施することになりました。会員の皆様は送付される総会資料をご覧いただき、書面にて審議・承認をいただきたく存じます。ご意見・ご質問等ございましたら、8月21日までに事務局へお申し出下さい。
また、8月22日(土)の「折口講座」は柳田國男館と小川所長をオンラインでつなぐ形式とし、11月28・29日に計画していた第4回伊那民俗研究集会についても延期することになりました。
講座・講演会の詳細はこちらをご覧ください。