第Ⅳ期の開催については現在、運営委員会で検討しています。詳細が決定次第お知らせいたします。
第6回 講義要旨 4月19日(日)
「後藤総一郎-常民の学問をめざして」
高橋寛治会員当研究所の初代所長であり、全国各地で「常民大学」を主宰した故・後藤総一郎(1933~2003)は、遠山が抱えるさまざまな課題に眼差しを向け、住民が自分たちの地域で学ぶ大切さを説いた。
官の学と一線を画して学問を続ける姿勢は柳田とまったく一致する。こうした学問のあり方は、情報化と中央集権によってこの飯田地域が均質化していく中で、よりいっそう必要になってくるのではないか。
「宮本常一-個人からの民俗学」
福田アジオ所長宮本常一(1907~1981)を表すときの常套句「旅する民俗学者」は、柳田による宮本評が発端となっている。
宮本は渋沢敬三の私的な研究機関であるアチック ミューゼアム(後に日本常民文化研究所と改称)の研究員として活動した。個別地域の歴史性と生活実態の把握に重点を起き、政治や行政を活用した具体的な「経世済民」を実践した。
歴史的解釈に根拠を示さなかったり、記述に明らかな虚構性が認められるなどの問題性もあるが、人間味にあふれ柳田にはない民俗学を実践した点で高く評価される。
第5回 講義要旨 3月15日(日)
「松山義雄―孤高の山国ロマン」
今井啓会員箕輪町出身の松山義雄(1910~2011)は、野生動物の伝承や山の民俗について独自の調査と執筆活動を精力的に行い、多くの著作を残した。
柳田国男の義理の従甥という立場ながら、柳田から直接教えを受けることなく、他の研究者とも交流を持たず孤高を貫いた。
晩年は牽強付会な論も目立つが、一貫して彼の研究を支えたのは初期の柳田に通じるロマンチシズムだったと想像される。
「中山太郎の民俗学―文字の世界へ―」
福田アジオ所長中山太郎(1876~1947)は柳田よりも早い時期に「民俗学」という言葉を使い、膨大な文献資料を駆使して多くの大著を残しながらも、柳田から無視されたために現在はほとんど知られていない。
民俗調査を行わないことや史料批判が不十分であることなどの問題点はあるが、「性」の問題や国外への視線など、柳田が切り捨ててきた課題についても取り組んでいる点で大きく評価されるべきである。